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カナダ旅行使節団

カナダ旅行 1990年4月13日(金)

この旅行は日刊工業新聞主催でカナダ大阪領事館の援助による「カナダ住宅(資材)視察団である。カナダの領事館から案内が来たのは3月10日過ぎだった。日刊工業が募集した25名の予定人員に大分不足しているから、カナダ領事館が知っている企業に呼びかけたようだ。他にもそうゆう経路で来た人がいる。総勢は9名、これにはカナダ領事のドラブルさんも含まれている。

阪急交通社も同行する。少人数すぎるから日刊工業新聞の団員である宮部論説委員が世話をしてくれることになった。現地トロントにドラブルさんが待っていてくれ全行程を同行し通訳もしてくれることになった。

 領事館で4月9日説明会に集まった際には視察団だから団長、副団長を決めようじゃないかとなったことで、一番年長者にとなったら僕が一番で上。しかしこんな団長など、目的からして不向きだ、第一僕は観光が目的なのだから、ということで次の年齢の人で昭和10年生まれの横山さんということになった。また副団長は、主催者の日刊工業の宮部氏がやるべきだということで、そんなにわかずくりのメンバー。神和木材の社長横山景樹、同工場長森本氏、和穀(中国宅建社長)同藤井係長、神戸不燃板工業、奥谷部長、社長の子ども、東京からは第一住研東京支店長の近藤氏、日刊工業の宮部論説委員、其れに僕、カナダ領事、大阪ドラブル氏の9名である。

 家に久安さんが迎えにきてくれ伊丹空港まで佳子も送ってくれた。雨だったから、昨夜阪急タクシーの久安さんを頼んでいたからたすかった。

 成田で東京に電話したら、支店長の坂下君しかいなくて、信顕の声は聴かずじまいだった。

 16時20分発のカナデイアン航空の禁煙席で12時間の4人掛け これではたまらないと禁煙席に行ったら運よく二人席が空いていたからそこで足をのばして寝る。他の人は殆ど座ったままだったようだ。隣の席にいた奥谷君は二世経営者で僕の経営者としての創業時の話と子供に対する経営者としての話をしたら、父も全く同じことを言います。と熱心に聞いてくれていた。同友会を勧めるつもりで話している。

 日刊工業の宮部氏に僕が同友会で役をしていることを話したら、「同友会には理論家が多いですね」といって、同友会のことも知っていられた。

 カナダ大陸を飛んでいるとロッキー山脈からずっと雪が続く、5時間も大陸の上なのに、家が見られない、広い国もあるもんだ。河があっても水が流れていないように見える、道路が走っているのはよくみえる。だが車の往来しているかどうかは見えない大変な国だ。カナダ材を歩輸入しよったって大した時間がかかる、こんな費用をかけても日本より安くできるのだから不思議である。

だが上空から見ていて交通の問題も知り、これからの話しもこのことを頭に入れてできるから良いかもしれない。森林も多いし、少々切出してもこれだけあるのだから大丈夫ということも知った。

 トロントに着いたらどれだけ寒いか気にしたがさほど寒くはない。8℃というからコートも無くて少しの時間は大丈夫のようだ。

今日は復活祭キリストが昇天したという日だということで、休日、人通りも少ない。20階30階のビルが大分建っている。ニューヨーク程土地は狭くないから、高い建物でも窮屈な感じがしない。灰色の街だ。緑が少ない、植林がまだ小さいから、ビルに消されてしまっている。何といったか全て外装しているビルがあるが、本物の金らしいから、誰か剥ぎに来ないか心配だ。20階もあろうというのに、だから凄い金をかけている。消費税が何を買っても8%だそうだから高くつく買い物になるだろう。こんなところを見ているから、日本政府も強気で導入したのであろう。

 夜は6時集合で、中華料理店に行く、そこで皆と今後の、遊びの打ち合わせ。

ナイアガラの滝見学は100㌦で食事つき、これに全員で行こうということになった。とにかく寝ていない人が多いから、今日は夕食後すぐ寝ようということになった。

ホテルは一人一室だからありがたい。8時半に食事が終わって外に出たらまだ明るい、昼夜の感覚というのは、日本であることで、日本の尺度で一日も「太陽が出て日没までを一日とする」などこんな感覚すら日本的ということになるようだ。この「日記14日朝1時から眼覚めて書きはじめた。今2時9分。14日集合は8時45分という。

1990年4月14日 トロントホームショー


by akinishi1122 | 2017-04-24 18:08 | 旅行

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