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リトワニヤのヴィリニウス

(49)2013年9月7日 ラトビヤのリガからリトアニヤのヴイリヌスへ
仲秋や86歳の途が見え  東京オリンピックまで元気でああらねばの途を考えるできた。2020年といえばあと7年、僕が86歳、秋子が85歳である。二人とも元気でいたいものだ。東京まで出かけることができる夢を持つことができた。
日本はさぞ大喜びであろう。いずれにしても希望のバス、50分ほどでリガ空港に着いた。2時間前とゆうが、3時間も前に着いた。日本人は誰もいないようで、飛行機もプロペラである。乗客を数えてみたら、52名ほどである。200人乗りなのに空席がめだつ。隣国だから、おそらく移動する人々は車でも行ける距離なのだろう。飛び立ってから25分もしたらもう着陸態勢にはいるのだから大阪→東京よりも近いような距離かもしれない。
飛行機からはずっと下界が眺められ道路が見えるぐらいの高さを飛んでリトワニヤの首都ヴィリニュスに着いた。
とたんに温かくなり、長袖の上着を脱がねばならないぐらいになった。荷物を受け取るのに6人だけしか荷物待ちの人がいないとゆうことは、旅行するといった人よりも、出張で出かけるぐらいの感じで日本の国内便のような利用の仕方だろう。
飛行機は13時5分に発ち、ホテルに着いたのが3時半ぐらいだった。日本との時差は7時間である。ホテウに着いたことを携帯でメールしておいた。
リトワニヤについてはどこか、外国の博物館で関連を見た記憶があるから、先の戦争の時、駐ラトビヤ領事の杉原千畝とゆう人が、ナチスドイツがユダヤ人の強はナチスドイツと同盟を結んでいたために、ユダヤ人が日本経由でアメリカに逃れることで必死にビザの発給を懇願しにきたが、日本政府は了解しないだろうと、当時の杉原千畝領事が独断で日本通過のビザを発給して、2000名余の命をすくった歴史がある。世界のユダヤ人は日本の「スギハラチウネ」として感謝されているとっゆ。このことを調べて、知ることができた。
それによると、杉原領事は、本国の’了解なしに日本通過ビザをだすことは外交官として本省の政策に反することだから「自分はどうなるかわからない、でもこれを認めなければ、この人々には死がまっている」と奥さんの懇願もあって、自分の運命をかえりおみず2000余名の日本通過を認めるサインをしたとっゆ。領事は転勤がきまっていて、正式の書類も荷物を送った後だったから、手書きのビザだったとゆう。
このことをここで知り僕もこの杉原千畝領事の行為に胸を熱くなった。よくやってくれたものだ。そんなエピソードはあまり日本では知られていないようだ。それは規則に反することだから、政府は抑えていることだろう。
素晴らしい人道主義者もいたこにめぐりあえたら、アンネお日記を読み終わったところだったから、アンネもこんな奇跡があれば、殺されることはなかったのに、とあらためて、アンネが可哀想に、いたましく思う。
日本とかかわりがあるものだ。
ホテルに落ち着いてから、バスに乗ってダウンタウンにでかけた。ここも先に見たエストニヤ、ラトビヤとおなじように街が美しい、森の中にあるようだ。大きな川に包まれているのかもしれない。川がゆるやかに美しく岸部が緑で深い谷底を流れている。その周辺に教会や古い建物が昔のままの姿でたっている。道を歩いている人々の服装が明るい、ことに若い女性がカラフルな服装、高いハイヒールがめだつ。きっと生活も豊かであろうと予感がする。
今日は土曜日がだから、ビル街は殆んど人がいない。だが古い建物を目当てに歩いていたら、突然人の賑やかな通りにでた、にぎやかといってもこれは露店であり、食べ物時間だから、僕はビールとオムライスおようなものに、大きなソーセージを注文して、日本の味に合わないから、大分残しビールでながしこんんでたべた。
面白い風景に‘であったのは、ビールや食べ物を少し残している人のところに行き、もうおわりましたか?と聞いてビールの残りをじぶんのコップに注ぎこみもらって歩く青年がいる。そして食べ物も集めて歩いて、それを食べながら歩いているのだ。
こんな人ごみだからできるのであろうが、身なりは綺麗な服を着ているのだから、乞食ではなさそうだ。これが何人もみかけたから、僕の前の人のをもらっているから、びっくりしてしまった。
そこをあとにして歩いたら1キロぐらいも屋台が続いている。今日はなにかの祭りであろう。もう8時ぐらいになって暗くなりかけたから、バスを探すのだが、僕のホテルへのバスが見つからないから、地図で聞いたら、方向を教えてもらえたから、磁石を使った歩いてみることにした。するとなんとぴたりとホテルの近くまで着くではないか。これは山歩きで応用しての’たどり着きである。磁石はもつべきものである。

by akinishi1122 | 2013-09-08 12:30

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