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(24)HARON


(24)2013年5月30日 ハロイン湾日帰り12人外人と13人
静けさや戦争などのなきしごとし このハロン湾にも戦争があったとは
7時半にHISの車が迎えに来た。僕を入れて外国人ばかり13人である。ガイドは英語だけだから、大分わかりにくいところもある。
隣の席にオーストラリヤの若い看護師2人、韓国4人、ィリピンの女子大学生で、貿易と金融を専攻している2人、黒人で、男性がロンドン、女性が香港のカップルメンバー、チリのスチアーデス、イギリス。バースの若い女性である。
隣のオーストラリヤの看護婦は、本国はフィリピンで、オーストラリヤで看護師のライセンスをとっている。フィリピンの5倍以上の収入になるから、フィリピンでは外国での看護師を目標に勉強する人たちが多いとゆう。26歳はFaithee
といい、父親は牧師ministerといってうる。23歳のLimzzkyは父が外国船のキャプテンとゆう。二人と車の中でずっと話て彼女らが日本にきたら、大阪で日本料理に招待してやるとの約束もした。名前を日本語の当て字でFaitheeを(不破自意)(自分の意志がしっかりしていて、その志をまげない性格を意味する)またLimzzkyを(利無自気)は(利益を求めない献身の心)とふたりとも、なかなか良い名前だ。と褒めてやったら、大変喜んでその文字を写真に撮って大事にしておく。といった遊びなどした。、、
明日はオーストラリヤに帰るらしいが、夜ホテルに帰ったら、早速メールが二人からきていた。
二人ともはつらつとしてチャーミングである、これでオーストラリヤとの交流ができそうだ。
ハロン湾は10年ぐらい前に来たことがあるが、桂林や、ニュージランドのミルフォード、などを見る思いである。日本であれば鳥羽や賢島といった感じで絶景である。前に来た時は我々の観光船に手漕ぎの小船が果物や土産物を積んで横ずけして、子供がわれわれの舟に乗りうつり、販売していたのを覚えているが、やはり今回も父親が舟を漕ぎ、子供が身軽にとびうつり、販売しているから、買っている人々もかなりいるようだ。そんな、のどかな風景もこのハロン湾の風景として僕には心が和むものであった。
甲板にでて、同じグループでチリのスチアーデス、イギリスのバースの若い女性とも写真をとりあって過ごすことができ、写真も送る約束もできたし、メール友達にもなってくれるとゆう。
食事のテーブルにはフィリピンの女子大生もいっしょに景色をみながら、話すことができた。今日は6人もの外国人と新しいメール友人ができ、僕の旅の日記は日本語でもよいから、翻訳機能で読めるから、気にしなくてもよいから送ってくれ、とゆうことだ。
まあ、78歳で一人旅これは日本文化もさることながら、自分たちの御爺さんぐらいだから、関心をもってくれ、あまり苦労なく友人になってくれるものである。
ハロン湾はこんな静かな海であったのに、つい35年前はアメリカの爆撃機が漁船までも狙い撃ちしたと日本の新聞も報じるほで、世界遺産も戦争の被害にあったらしいが、観光客が沢山きているのだから、まるで戦争などなかったような静な湾に島が浮かんだり、岩がきりたったりしている。
若い人々は、カヌーに1時間ばかり乗っていたが、波が全くないから、初めての女性も楽しんんでいる。
ずっとまわって、鍾乳洞にも入った、ここにきて、前に来たことを想いだした。日本の秋吉台などと同じで中にはいるとひんやりとして、暗くて気持がいい。
日本からここだけ見に来る観光客もあるようで、多のグループにそれらしい人々もきていた。
ホテルに帰ったら、
アンコールワットでお会いした斉藤さんからメールが来ていた
昨日、帰国いたしました。
妻とは7~8年部ぶりの海外旅行でした。
宮崎さんの日記にもありましたように、私も興味を持ったのは森本右近太夫でした。
日本に戻りまして、以前読んだ「朱印船時代の日本人」(小倉貞男著、中公新書、1989年第1刷)で確認いたしました。
同書のP102~P106に「アンコールの落書き」という小見出しで、森本右近太夫に関する記述があります。
添付されていました日記を拝見いたしました。
再度、ベトナム、カンボジアに行くことがありましたら、わたしもバイクタクシーで移動したいですね。
安くて、適当に脱力感があって、アジアという感じがいいですね。
まだ、10日間くらい旅行をなさっているのでしょうか?
お元気で!

by akinishi1122 | 2013-06-06 00:25

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