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(18)カンボジヤへ

(18)2013年5月24日 ジヤカルタから。ホーチミン。カンボジヤへ
殿下だけ知る国ば椰子の門  シアヌーク殿下だけはよく覚えている国で椰子やバナナにつつまれたホテルに迎えられた
今度は間違わないように、早めに空港に着いた、すると、おととい世話をしてくれた、JALの現地の女性がカウンターにいてくれた。そして、ホーチミンでの乗換、荷物はカンボジヤで受けれるように手配もしてくれ、これで安心して、今夜カンボジヤに着くことができる。親切な日本語の話せるインドネシヤ女性だから、忘れないように写真に納めとおいた。
待時間が3時間ほどあるから、インドネシヤの青年に話かけたら、彼も同じ便でホーチミンに行くとゆう。35歳で農業の機械をヴェトナムに販売に行くらしい。彼がパソコンをやっていたから、接続を教えてもらってこのメールを書いているところだ。お礼に僕が買っていたコーラと日本のコケシをプレゼントし、一緒に写真も撮り、お互いの文化を今後交換したいと頼んだら、喜んでくれ、即座に僕のパソコンにテストメールを送信してくれ、ちゃんと着いた確認までしてくれた。子供も2人いるらしいし、さしずめ僕の孫と彼の子供の写真を交換することから始めようとなった。
搭乗口がD1とゆうことで2時間もあるから、吉開那津子さんの本を読み始めた、吉開さんは、僕の所属している民主文学の会長を昨年までしておられたが、僕はまだ彼女の小説は読ことがなかったので、今回の旅行で初めて長編の「緑なる山河」を読むことにした。柴垣文子んの「星につなぐ道」を昨日っ読み終わったのでこれに取り掛かりたいと思う。
本に夢中になっていたからか、搭乗ゲートに誰もいなくなっているのに気付かなかったのだろう、空港の係員が来て「あなたはホーチミンに行くのではないですか?とう、それは搭乗口が変更になったのですよ」呼びに来てくれた。E2番になったとゆう。日本人が誰もいなかったので、教えてくれる人もなかったからであった。次の時間まで待っていて、「ここはホーチミン行き場ですね!」と英語で尋ねたらその人が日本語で、「間違いありません」とゆう。日本語が上手で、愛知県の春日井市に3年半職業研修生として、仕事と日本語の勉強をしたからだとゆう。現在はホーチミンで日本ヴェトナム、カンボジヤ、フィリピン、インドネシヤとの経済交流のためのコンサルタントの仕事をしているとゆう。37歳で事務所の名刺もくれた。僕が会社を経営していて、大阪の経営者団体で役員もしていたことを話すと、是非何か一緒にアジヤと日本との経済の交流をやろうではありませんか。と積極的である。僕は現役を退いているが、経営者の友人は大阪にかぎらず、日本中に知っているから、今ヴェトナムやアジヤに中小企業も関心をもっている企業が多いから、日本の企業家もこの話をしたら、何等かのお役には立てるかもしれない。と話しておいた。
話しながら、日本の友人を何人か頭にうかんできた。なかなか活動的な青年で、日本語ができるから、僕も何か彼との関係での仕事もできるのではないかとゆうき気がしてきた。
現地での事業所の開設手続や、工場の建設、人の雇用の仕事もお世話できるとのことである。春日井市ではコンピューターの会社で研修していたらし。
ホーチミンには丁度3時間かかり着いた。カンボジヤはジャカルタとの時差は無いらしい。だから日本との時差は2時間で、日本が2時間早い。
ホーチミンからカンボジヤまではちょうど3時間で到着。もう暗くなっていた。
カンボジヤで気になっているのは、ホテルにたどり着くこと、そのホテルが本当は2日前に予約しているのに、2日遅れて着いたから、部屋がキャンセルになってはいないだろうか。とゆうこと、もう一つは、夜の9時過ぎだから、タクシーの交渉がうまくゆくだろうか、また騙され、そして観光相談する予定のHISがもう夜だし閉まってできない。そして明日が土曜、日曜と休みが続くから、観光の短い滞在になるが、相談ができないこと。いくらほど換金しておかねばならないか、それは、インドネシヤの銀行でカンボジヤの金に換金しようと頼んだら、カンボジヤの金にはインドネシヤでは換金できないといわれたから、カンボジヤの通貨はあまり信用されてないのではないか?だからあまり多く換金したら、今度余ったどこも換金してくれないのではないだろうか?などの心配を持ちながらの入国だった。
でもとりあえず、2万円を換金した。すると、682,600になった。だから、何か払う時は34で割れば日本円になることになろう。
タクシーでホテルまでたのんだら、28000とタクシー案内所でチケットを発券してくれ、それだけで、ドライバーには何も払わなくてよかったので、第一の関門は無事通過できた。やはりどこの国でもタクシーのトラブルで、いやな思いをすることと、貨幣価値の判断に戸惑うことの不安がつきまとうのだが、ここではこれがスムースにできて、なによりだった。ドライバーは30歳の独身で少しだけ日本語ができる。そして「明日の朝アンコールワット遺跡の日の出が5時だが、それに案内したい」と言ってくれたが、きょうの夜が遅いから、朝の5時は無理だ、といったら、次の日にしませんか・あくまでも誘ってくれる。
ホテルに着いたのは20分ぐらいの距離だった。そして、昨日泊まれなかったのに、ちゃんと部屋はとってくれてあり、これも心配が解消できた。
ホテルは玄関も内部も全て木の板で仕上げてあり、クラシッカルであり、気分がいい。
部屋もすべて木製のチーク材仕上げで安らぎがあるから、気にいった。パソコンも自分のがコードで接続できるから、使用できる。これがなによりだ。
家に安全にホテルにも到着できた、とメールいれておいた。
「文学阪神」の大和氏から、昨日送った4通の通信にそれぞれ、個別の感想を書いてきてくださった。俳句会の淑子さんから、「旅日記の本、茂子さんと話になり大変面白いと話題になりました。出版社の奥村さんから、無事通過おめでとうございます、続けて待っています。ときている。

by akinishi1122 | 2013-05-25 13:03

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