人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2012年夏の旅(72)

(72)2012年9月27日 ライプチヒ日帰り(72)

長月や病をおして迎えかな 大病の妻が病をおして迎えに行くという知らせのメールあり 

9時22分にフランクフルト駅を発った。駅に日本人がいた。沖縄から楽器の演奏にワイマールに行くという。子供が3歳ぐらいとまだ生まれて数カ月ぐらいでお母さんがオッパイを飲ませている。そんな状態で演奏旅行というから、相当有名なプロなのだろう、と思って眺めていた。演奏のときはお子さんはどうされるのですか?ときいたら主人が見ています。とのことだ、日本での演奏もされているのですか?ときいたら、東京で時々やります。という。沖縄から東京に時々演奏。時間と費用がかかるだろうに、沖縄ではどんな生活をされているのだろうか、と気になってきた。
 僕が昨日行ったワイマールだったので、そこを通過しライプチヒだから一緒の列車である。このグループは4人でそれに幼い子供2人もいる。
同じ並びの席を取ったので、「外国まで演奏旅行とは相当有名な音楽家なんでしょうね」と聞いたら、「いや素人です」というから益々わからなくなった。
楽器は若いお母さんともう一人の若い女性がクラリネット奏者で、主人がコントラバス、もう一人の男性でやはり同じぐらいの40歳ぐらいがホルンの奏者。もう一人グループに女性の奏者がいるらしい。
僕にしたら、なかなか不思議なグループである。素人でドイツまで演奏旅行と、しかも乳飲み子連れの演奏旅行。いったいどんな演奏会なのだろう。
沖縄ではどんなお仕事されているのですか?と聞いたら、医療関係です。というそこでこのグループが若いお母さんも含めてお医者さんだということがわかった。道理で趣味で演奏会にここまで来れるのだとわかった。もう一人の男性は琉球大学の農学部の教授であることも教えてもらった。若いお母さんは今産休だが、整形外科医、その旦那は内科医、もう一人の女性は婦人科医師、こんな豪華な顔ぶれであるから、日本でもこんな旅行の趣味の人人がいられることを知り、驚嘆したものだった。
 コントラバスは大きいので現地で借りられるらしいが、世界の人人の素人も含めた演奏会というのだから、おそらく参加される外国の奏者も似たような人人だろうから、楽しい交流になることだろう。観てみたい気にもなるものだ。今回だけでなく毎年やられているようだ。
 
ライプチヒに着いた。インフォーメイションを探そうと駅で並んでいたら、後ろの男性が「何かお困りでしょうか?」と日本語で話しかけてきた。そして「私の妻に代わります」と電話を掛けてくれ日本人の声にかわった「そこにいるのは私の夫です、あなたがいられるのはキップ売り場で、インフォーメイションは大分違う場所ですから、主人に案内させますからついて行ってください、主人に代わってください」との声だ。おそらく、僕が駅員と話しているのをこの男性がみていて、奥さんに電話で知らせてくれ、この人の奥さんが心配して機転をきかせてくれたのだろう。僕としたら全くその間の事情を知らないところで、日本人妻をもつこの青年の優しさに見守られていたことになっていたのだ。この男性はロシヤのペテルブルグからここに住んでいるという。あまり日本語はできなかったが、自分の妻の国の人がいるのを見ての親切な行動を機敏にしてくれていたのであった。奥さんとはそれだけの会話だったが、日本人ということの嬉しさを感激としてあじわった。このロシヤ人と日本人妻と連携で僕を見守ってくれていたとはなんと素晴らしいことか、今日ほど日本人を意識したことはなかった。たったそれだけのことなのだが、このロシヤ人と日本人妻とはきっと心の優しい夫妻なのだろう。こんなことは日ごろのこの夫妻の暖かい人間性でなければ咄嗟のことで出来ないことだ。奥さんにお礼をゆうタイミングもないまま、この男性は僕をインフォーメイションまで案内して去ってしまった。
それからの今日のいちにちが心がほのぼのとして元気で歩けた。

ライプチヒ駅も巨大でフランクフルトに匹敵するぐらいに大きいい。ここの僕の予備知識ではマルチンルターの宗教改革である。中世にキリスト教が本来のキリストの慈悲の精神から離れお金儲けのためと権力のため
に免罪符を売ることで罪を金で清算するという金儲けに堕落したことへの反抗をしたのがここから始まったというのである。純粋にキリストの教えに従えば金で心を買うということなど起こるはずがないのに、キリスト教が生まれて1500年もたち、国王がキリスト教の権威や衣をまとって、金儲けに走ったり、あるいは人々を統制するということはキリスト教でなくともその原理からしておかしい、とルターならずとも思っていたのだが、当たり前のことを主張することでローマ法皇の怒りの怖さに誰も反抗ができなかったのを、ルターが声を上げたのであった。そのためにルターは迫害を受けたがそれに屈することなく主張を続けたから、やがて本流に立ち返ることになった。その功績の土地であったとおもう。
宗教というのが権力と結びつけば堕落していくという教訓である。
日本でも同じことがあったし、現在でもまた宗教が政党をつくり利権の勢力の一翼を担う利権を追う状態になってきたが、もう歴史の教訓が生かされていないのではないか。歴史上のこととして固唾家tられない日本の原状をここにきて感じさされたものである。

もう一つここで知ったのは、音楽の都ともいわれるぐらいたくさんの音楽家がここで活躍していたということだ。バッハがここのトーマス教会で少年合唱団をずっと指揮していたというし、バッハの墓もここのトーマス教会の墓地にあるらしい。教会の中に入ったが墓をみることはできなかった。教会の横にバッハの銅像がたてられている。また。シューマンもワーグナー、メンデルスゾーンといった僕も名前を知っている人々がここを舞台に活躍していたことも知った。

もうひ一は1813年代初めにナポレオンの大部隊を相手にプロイセン、ロシヤ、オーストリヤと同盟してナポレオン軍を打ち倒した決定的場所であって、その後にヨーロッパの流れを変えた勝利の地であったことも、ここに来て知った。

帰りの列車に日本人女性で音楽の指導普及の教育をするための勉強にきている女性と一緒になった。彼女はドイツ語と英語ができる女性で日本では音楽と英語の教師をしているという。僕と隣の人との話しを通訳もしてくれるほどドイツ語が堪能である。また彼女と話していると隣にいる男性がピアノや楽器をやるということで話の中にはいってきた。彼は65歳で今年学校の校長を定年で辞めたばかりらしい。そしてたくさんの楽器をこなすらしくて、パソコンで見せてくれた。自分の趣味は乗馬で3頭の馬も買っているという。見せてくれた。専門は機械工学らしい。僕に図面をプレゼントしてくれた。この人は僕が俳句をやっていのを知り、その句を知りたいというので俳句を解説しておいたら、今後も送ってくれとなった。だから僕の句を送ることにした。僕の句をドイツ語にパソコンで訳をして送るから果たして美味く伝えることが出来るかわからないが、少しでも俳句を知ってもらえたらそれでいいし、僕も勉強と興味が益々深まることで、僕自身のためにもなると思う。

今日はパソコンでの友人が5人もできた。

携帯電話に秋子から「1日は迎えに行きます」と入っていた。朝の7時半頃関空につくのに家を出るのは5時ぐらいでなければいけないのに気の毒だが、嬉しく有難い気持ちだ。それよりもせっかく脳梗塞が回復の途中なのに自分の体は大丈夫なのかとそれが気になる。

by akinishi1122 | 2012-10-02 13:05 | 旅行

<< 2012年夏の旅(73) 2012年夏の旅 >>