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NO60

(60)2012年9月15日(土)カサブランカからドイツ・フランクフルトへ(60)

秋うらら日にち違えし飛びにけり カサブランカからドイツへの飛び立つ日にちを間違え飛行機に乗り遅れてしまった(深夜の零時を12時と読み違え)

朝食のためレストランに下りたら日本人女性が二人いる。このホテルに泊まっていたのを今知ったのである。
日本人と思っていたら一人は流暢に日本語を喋る韓国の女性だという。僕はフランクフルトに発つといったら、私たちも一緒ですね。となり列車の駅まで一緒のタクシーで行くことになり、そして空港まで一緒に行く連れができた。
韓国の女性はウナさんといい、釜山からで翻訳の仕事をしている44歳の独身である。日本語を話すのに何の不自由もない。もう一人は東京からで、一人旅、それもモロッコというのだから相当旅がなれているようでスーツケースにたくさんの国のシールが張ってある。
アメリカのシアトルに住んでいたことのあるS子さんも、翻訳家のウナさんも
も英語は問題なかろう。だが女性の生き方について、ヨロッパとの違いがあるようで、アジヤ的というか儒教思想の流れというべきか、ウナさんとS子さん
は共通の女性の生き方をしているようだった。
僕のみるヨーロッパ的女性の生き方というものに、新しい見方を発見したように言っていた。
日本の女性は特にだが、自分の価値を正当に見ていない感じがする。他人を意識した、他人のために自分の本心から離れた発言や行動をしがちだ、いわば演技をした生活からくる自己矛盾のため、その人の行動がちぐはぐになることが多い。そして自分自身もそれで悩むことが多いのではないか。
ヨーロッパでは本心と行動が比較的近い生活をしているのではないか、だから日本人からみると、自己中心的とみられがちだが、どちらがのちのちその人の生き方により人間らしい生き方なのだろうか?
そして日本人は自分の誇りを外に出さないが、外国の人々は誇りを率直に表現したり、述べることが普通である。日本人は自分の誇りが無いわけではないのに表現しないし、逆に自分の悪い点を意識しすぎるのではないか、そのために日本人はほとんどの人が自己コンプレックスになっている。それが実際以上に意識し過ぎしているように僕には思える。
そして、自分がそうであるのと同時に社会も人を褒めない風習がある。風習だけではなく、そうすべきだとさえ積極的に風習を補強しさえしている。それは子供が初めて社会生活にはいる小学から始まっている。ところが僕の経験でケンブリッジの語学学校に入って経験したのだが、僕は英語が苦手で出来なかった学生時代に経験したことのない、英語教育に出会った。それは「nealy」近いね[good]よろしいね[excellet]最適だね。といった言葉しか使わない。人の答えについて、「bad」とか「だめ」などという言葉を聞いたことがなかった。これで英語が「僕の言葉でも通じるのだな」とうれしくなったことを覚えている。
日本の社会は○とか×とかが教える時に多いのではないか、だから勉強が嫌いになるのではないか。本来新しいことを知るということはワクワクし、嬉しいし楽しく、もっと知りたいという心を引き出す材料になるのではないかと思うのだが、日本の私たちが受けた教育というのは、入門のところで選別してしまう傾向があるのではないか。
だから、私たちは自分の本来もっている素晴らしい能力を自分で認め、褒めることをしなけば社会では褒めたり、評価されることが期待できないのではないか。だから二人とも自分の幸せを作るためには、まず自分の優れたところを発見し、それを自分で、褒め、そしてそのことをメモしておく、そのことは誰にも喋らない、見せないと決意して書くことを提案したい。そうすれば、自分がいかに他人と違う性質の優れたところを持った人間であるかに気ずくはずである。そうするとそれが自己の尊厳にきずくことにもなるのではないか。その尊厳が貴方たちが生きている値打ちなのだ。
それに気ずけば、自分の幸せは自分で創れる、他人を意地識しなくて生きることが、それが社会にも貢献することになる。
このようの話したら、「絶対にやってみます」といってくれ、ウナさんもメモしていた。二人とも韓国は儒教の流れをうけているから、韓国のウナさんもまったく共感できて、自分もそのように生きてみます。といっていた。

空港に着いて僕もS子さんと同じ飛行機かな、とチケットを調べたら、彼女が「このチケットは15日の01,50分発になっていますよ。今朝の1時50分発ではなかったのですか?」というのだ。僕は2ヶ月前にチケットを見ただけで次々に消化したので2ヶ月前に読み違えていたのを今日の直前まできずかずにいたことになる。今朝の1時50分といえばとっくに飛び立っていて乗り遅れたのを、今S子さんが見てくれてきずいたのである。
それから慌てた。彼女らと別れの挨拶もそこそこに、ドタバタと走りまわり、この券の会社に相談したら今夜22時に発つ便はあるから、それにチケットをあるかどうか相談ししてみなさい。というのだ。僕はなにがなんでも今日たたねば気持ちもだし、第一フランクフルトのホテルも昨日予約がとれたばかりである。
もう他の航空会社でもいいからと、スーツケースをひきまわしながらかけずりまわり10人ぐらいに聞きながら、航空会社をたずねまわった。するとやっと今日フランクフルトまで飛んでいる会社がみつかった。そしたら、もう30分ぐらいで発つから急ぎなさい。というのだ、僕は1時50分と考えていたのがその2時間前に発つことになった。もう汗びっしょりである。そして搭乗手続を終を終え、搭乗口に着いたのは5分前だった。ほんとうに慌てた搭乗劇であった。
S子さんが、「その語どうなったかを、ブログで見せてもらいますね」といって別れたので彼女も気にしてくれていると思う。
2時間も早くフランクフルトに着いたので、家に電話したら「えらい早く着いたんやねね」と驚いていたから、僕の時間割を言え家でも計算していて、日本時間で深夜に着く計算していたようだ。だけどもこんなになったいきさつは言わいでおいた。「またかいな」といわれることが分かっているからである。
飛行機の隣には4ヶ月になる赤ちやんと、3歳の子供を連れたモロッコの若い綺麗な女性が一緒だった。彼女は夫とドイツに住んで4年になるがもう子供が4ヶ月になったから夫のいるフランクフルトに帰るところだという。両親のもとで産むんだそうである。日本でも同じで、やはり出産は母に上の子をみてもらわねばならなかったかsらだという。
今日は普通の服を着ていたがドイツデではサリーを着ているという。まだ赤ちゃんが、はぐずるたびにオッパイを飲ませていたが、オッパイをやる若い母親の姿はうつくしいものである。

最後の地ランクフルトに着いた、空港からの市内までの列車に日本女性で35ぐらいの人で学会のために来たという神奈川大学の教授が一緒になった。ドイツの大学に留学していたとき学位をとって、西洋歴史を教えているという。その婦人にホテルの行き方を教えてもらった。
僕が乗ったのは地下鉄だったが、列車だと駅のすぐ近くだったことがわかった。ホテルはなかなか立派で日本のロイヤルホテルに匹敵する素晴らしい。ここで今回の旅の最後の2週間を過ごすことになるから、顕が良いホテルをを選んでくれたと喜んでいる。


名古屋の弁護士の加藤さんからメールがきて、11月にスペインに行くから毎日坂口さんの旅行記をた楽しんでいますとあり、山の会の編集長から、この前いただいた「文学阪神」とはすごく良い本でした。こんな会があることを初めて知りました。とあった。


by akinishi1122 | 2012-09-17 04:23

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