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オックスフォード

2011年9月4日(日)留学とドイツ、フランスの旅(46)オックスフォード
今朝はYさんの下宿の1部屋を家主のErizabesuさんが提供してくれた部屋で目がさめた。まだ風邪が少し残っていて、また夜中に汗がでて、昨夜のように汗で3枚も着替えをしなければならなかったら困るなと思っていたのが1回だけの着替えですんだのでたすかった。ここのベッドがダブルで寝心地がよかったので十分体を温められたのがよかったのかもしれない。それで風邪まで治ったのだと思う。
昨夜は御馳走になりながら、僕もErizabesuさんのボーフレンドと恋愛論まで語れたし、それに2人も対応して話に乗ってきてくれた。彼女がボーフレンドと65歳代で同居していることにも配慮して話したが、どうも僕が気にして話す必要がないくらい。人生は死ぬまでロマンはもつのが生きる張り合いがあるものだと。そしてやはり異性との会話は同性とのと違い潤いがあるものだ。とも自分たちの生活からの話をしてくれた。だから初対面でありながら僕もうちとけ、気持ちの良い夕食になった。
この夕食はYさんが「私が負担しますから、昼は御馳走になりますからね」というぐらいYさんはErizabesuさんとの関係は心を許しあっての付き合いで、下宿人と家主という以上の友人となっているようだ、こんな関係はYさんでなければ出来ないことで、誰にでもできることではない。やはりYさんの人柄である。Yさんの友人であるというだけで僕を泊めてくれたり、昼食をだしてくれたりもしてくれたのだから。
そんなことでYさんとの知り合いというだけで、もてなしにあずかるとは幸せである。
ボーイフレンドはもう朝は早く教会に行って9時頃の朝食には帰宅し、僕たちにハムやエッグの調理までしてくれている。
泊めてもらいこんなにまでしていただいたから何がしかの支払をしないと悪いですね、とYさんに言ったら。「あなたからその気持ちを言ってみたら」というので、「おいくらお支払いさせてもらったらよいでしょうか?」と聞いたら。「ノープロブレンそんなものいりません、あなたは私たちの大事なお客さんだから」というではないか。本当に感激だ。
僕もYさんという友人をえた有難さをこんなに感じたことはない。
朝食が済んだらErizabesuは教会の日曜ミサに出るというので、僕らも一緒に行くことにした。正式のミサ出席は初めてである。Erizabesuさんはこの教会の役員をしているようで、いろいろ準備をしている。その間僕とYさんは一番後ろの席にいたが、どうやらこの教会は一般の教会より大きいようだ、続々と信者が集まってくる。賛美歌隊も20人ぐらいで予行演習もしている。10時半から牧師の話があり、その内容の印刷されたパンフが配られているから、時々賛美歌の楽譜がでてくるから、昔と違い、僕もピアノを始めているので楽譜か読めて唄えるのが自分でも不思議なくらいだ。
楽譜を読めて唄えたのが賛美歌とは忘れられないだろう。
牧師以外で、信者の体験談であろう話を2人がやり、子供の幸せを願い、その子供に牧師が子どもに寄り添って語りかける風景は、神が愛しむということを教えているのである。まだ3歳いかぐらいの子供にたいする教会の布教をいう場面をはじめてみたが、なるほど、こんな時から、教会に接しておれば子供が生長とともにみについてくるものだなと実感した。
だがふとこのようにどこの国でも平和を願い人々が神の恵みを与えることに疑いもなく人類を愛しむはずなのに、同じ人間でしかもキリスト教の信者なのにアメリカのブッシュ大統領はイラクやアフガニスタンの市民にたいして無差別の爆撃で殺害の決定をしたのだろうか。とふと疑問に思えてきた。キリスト教でなければ愛しみなくてもよいのか。であれば、どうも政治家の人類愛というのはごまかしではないのか、ここに来ている信者たちは本当にキリストの教えの愛を誰にでも施すべきだと思っているというのを僕は疑わない。
だったらブッシュや小泉首相などの心は自分の都合で神の教えを歪曲しているようでならない。敬虔な信者たちをみているとそんなことを考えたものだ。
11時半に終わりYさんと教会の周辺を散歩し彼女のセークスピアについての話を聞いた。セークスピヤに惚れこんで自分はこのイギリスに来るようになったこと、それは自分か大学が英文学であったがイギリスに観光に来た時に時間潰しのために劇場に入ったのがセークスピヤの劇をやっていて、セークスピヤの面白さを知ったという。
そしてその演劇をやっている俳優に惚れこみ、セークスピヤと演劇、そしてその俳優に惚れこんだという。その男優がニユヨークで公演するとそこまでも行く、毎年の半分ぐらいイギリスに生活するのはセークスピヤ劇を観るためと、その俳優に会うためだというのだ。セークスピヤ演劇についてのノートも作っていられる。そして男優のサインがそのたびにもらってある。俳優との写真も貼ってある。次に会うときのサイン用のペンも用意されているという。80歳近くの女性がこれだけ惚れこむというのは何であろうか。
僕はセークスピヤの本は読んだことがないが、彼女が話すには、沢山の戯曲を書いているし、名前だけ知っている「ベニスの商人」「ロミオとジユリエット」「リア王」などは題名だけ知っていて、それがセークスピアの作だったことすら知らない恥ずかしさで、彼女にセークスピアの解説をしてほしいなどと頼んだわが身の無知を恥じた。彼の作品や人物を少しの時間で説明してもらえるような負担を彼女にかけたのが恥ずかしい。
それをききながら、僕の人生についても話してみた。6人兄弟で末っ子だった僕はみんな教わることばかりで、18歳になって関西に出て58年も前のこととて言葉が使えないコンプレックスを背負ったことが日常であり、それがあたりまえ前の人生だったのでそれがいまだに、人と競争することはやらないという人生になっていて、会社経営の考えでも自分の出来ることを続けただけだ。何になろうと思ってそうなったためしがない。だからなるだけ背伸びをしない、背伸びしたらその背伸びしたことが負担になるから。そんな人間だから、自分にできることしかできないという習性になったのではないか、会社経営でも、人に聞くことが僕の商売の原点のように思う。などと話したところでErizabesuさんとの待ち合わせの時間になってしまった。
Erizabesuさんとの待ち合わせの教会に行った。彼女はミサが終わり、皆が帰って後かたずけなどの時間が1時だった。
そこで「記帳簿に俳句を書いてみませんか」と言ってくれたので
プラタナス話はじめし十八路 
と記帳しておいた。すると彼女が解説してくださいというから、川辺のプラタナスのベンチで、僕の人生が十八歳ぐらいでの始まりだったようだからその想い出をYさんと話ししたところだったから、気憶にのこしておきたい。と話した。すると「プラタナスとは何ですか?」と聞くのである。辞書をひいてYさんと、こちらではプラタナスと言わないのだろうか。と話し車で帰る時、その木を見せたらやはりプラタナスと解ってくれたのだが、どうも僕の発音がおかしかったのであろう。
家に帰り、昼食に鶏の丸焼きを用意してくれてある。ボーイフレンドも台所で一緒に料理を作ってくれ、ワインもだしてくれ、甘くて美味しく、Yさんも美味しいとおかわりをするぐらいだった。これらが全て僕のため一家が動いてくれた一日となった。
車で3時10分発のオックスフォードへの、バスセンターまで送ってくれ、僕が昨日農場で買ったトマトと家の庭でとれた西洋梨をバスの中で食べなさい。と持たせてくれた。
イギリスで一般家庭に泊めてもらい生活にも触れ、心からのもてなしを受ける経験もYさんという友人のお蔭でできたことであった。
バスの最後まで見送ってくれたYさんに胸が熱くなった。
帰宅は7時すこし前であった。Yさんにお礼の電話いれ、Erizabesuさんに感謝を伝えてください。と言ったら「彼女たちも良い友達が出来て喜んでいるようですよ」と言ってくれた。

by akinishi1122 | 2011-09-05 16:55

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