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会社の理念


無能人はいない
人間多種多様な人々でなりたっているのですが、日本ではとかく企画された社会に適合した人をつくるようになったため、とかく有能か無能かに色わけしてみがちになってきたのです。
これには日本特有の歴史があるのです。いわゆる豊臣秀吉ごろの時代から、ほぼ全国の統一国家ができ、支配者が税金をしての通貨(米)を価値の判断の基準にしました。この通貨米(貨幣)で年貢を徴収するために土地の調査が全国代々にうけつがれ、一定の税金をとるために職業も区分され、一番多いのが農民でありました。士、農、工、商、それに非人などという制度をつくったのです。
それ以前には日本に全く階級という制度も習慣もなかったのに時の為政者の都合に合わせて階級がつくられました。
この制度も徳川の300年近くで事実上崩壊したのです。それは手工業の発達、商業の発達などで次第に商業資本が力をつけ江戸末期には資本主義の初期の芽生えの工場手工業ができはじめ、沢山の商品がでて、米にかわる価値が多様な製品となったため、米が貨幣おしての価値がしなわれ作られた銀貨、金貨がかちを持ち、大名も米だけでは武士の給料が払えないし、沢山の商品が買えないために商業資本の商売人から金を借りなければならなくなったのです。
この頃から人は身分というより、それぞれの才格が金を産むことを知りはじめました。
明治になり貨幣資本の時代になり、新しい知識を得るための教育をうけた人がよりたくさんの知識を持ち、文明の力を利用できるために文字を覚え、学識をつけるようになってきたのです。学識おいうのはお金のある人が上級学校に進むことになり、その学校を出たということだけで、世間から有能とみなされる傾向がつくりだされたのです。
有能というのはいわば金で買えたと言えないこともありません。
問題は有能という場合に具体的に「○○が有能」とみるべきであり、ただたんに有能という人間は居ないということを知るべきでしょう。
人間はそれぞれ具体的に何かを優れているのに、世間の注目を集めていることだけをとって、そのこと優れていれば有能ときめてしまうという間違った見方が多いのです。
そのために、自分が世間から注目されてないことで、逆の無能と思いこんでしまうことがいかに多いか、これが当社の考える「無能な人はいない」という考えなのです。
これは人間の無限の可能性を信じることで、力を発揮していることで証明されているのです。

by akinishi1122 | 2011-09-01 18:14 | 旅行

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