70歳の留学(13)

70歳の留学(13) 2005年7月23日(土)ロンドン観光
市バスが土、日が遅く運行するのを知らなかった。普通のつもりでバス停に行ったら
遅い時間しか出ないらしい。これでは明日の集合が8時15分なのにタクシーしかないことになる。ここの始発が9時5分というからバスでは不可能と知った。今日は自分の計画だから、遅れてもよいが、明日が困ったことになった。
ロンドンのキングスクロス駅が本駅と思うが、ここで市バスの一日券を買う。先日ロンドンに来たとき地下鉄爆破見舞いの埼玉の消防士が日本国旗を奥の方の木に掲げてあった。自分で下げたのであろう。誰でも献花に入れるし、写真や手紙など供えて、まだ花がいっぱい溢れている。もう片平という消防士さんはとっくに帰られているだろうが、確かに旗だけは残っている。恐らく日本人も沢山見ていることで、わざわざ埼玉の消防士が来たのだと、印象深く観て帰ることだろう。
市バスの一日券は14£だから、2800円、これは1日としてはかなり高いように思うが、タクシーに乗ることを思えばいいだろう。しかし実際使ってみるとなかなか便利である。どこででも乗り降りできるから間違っても平気だし、どんどん知らないところが発見できる、僕にとっては十分だ。
ロンドンブリッジと聞いて降りたが違っていて、タワーブリッジというのが、あの有名な橋だった。だがロンドンブリッジも大きいし、見どころがある。テームズ川は1000も流れ、それに近い橋である。軍艦が繋がれているから、海から入ってくるのだろう。
そのために橋下駄も高い。急いで乗り換えてタワーブリッジに着いたが、はじめは気付かなかった。なんだか明石大橋の入り口みたいだな、と思っていたが、歩いて上を向いたら、どうやら、これは古風だぞ、と思い石で塔になっていて、高い建物だな、と思っていた。知らないまま、カツコイイ橋だな、と写真を撮ってもらったのが、台湾人夫妻だった。日本人と同じ顔だから、気軽に頼んだのだった。その人が「あなたも観光ですか」と言うから「私は語学の勉強にきている」といったらビックリしている。話も通じるし、「良い発音だ」とお世辞を言ってくれた。この人はニューユークに10年いたという人で話ながら歩いた。
テームズ川に下りてクルーに乗るために船着場に下りたとたんにビックリした。あの写真で遠くから見るタワーブリッジではないか。下を歩いていると大きな建物が川の上にあるものだ、ぐらいにしか思っていなかったのに、これは遠くから見たら凄い、そしてタワータワーを人が歩けるという。これは観光ガイドに案内されずに自分でバスを乗りついで下まで来たから、全く気付かない感激を自分で作ったことになった。この橋は遠くから見るよりも、下を通り抜けた後で河や、遠くから観るべきだなと思った。そんなに自分が聞かないと大きなビルの下にいたようで、実はこれは橋だったのか、というのが感激が大きいように思う。
 テームズのクルーズに乗ったら、観覧船がすごく多い、そして先ほどまで上から下に流れて岸の方にで貝を掘っている人がいっぱいいたのに、もうどんどん水が走ってあがってくるではないか。すごい速さの水の登りである。浮遊物が反対の方向に流れていく。ちょっと大阪の淀川ではなかった水の動きだ。ここテームズではそれが見える。地球の動きがこんなに身近に見えるのは発見である。干満の潮位が解るのは岸に高さ4~5mの青海苔がついているから解る。ところが、この水は泥水である。上流からはいつもこの色で流れているから、もうテームズの色はこの色で決まっているので、それが似合っている。これに真水の海水であれば、誰もテームズのイメージとして感じないかもしれない。これがテームズの色といえるようだ。
 ビールを飲みながらのテームズクルー、そしてマイクを持った解説者がまた変わっている。黒のTシャツだ。そして足を投げだして、足を組みながらのキョロキョロしながら、話す。日本の観光案内だったら、誰かが批判してすぐ「会社の方針として、おかしいのではないか!」などと姿勢まで文句を言う人がでるのではないかといったリラックスぶりである。
乗客も何か注文していて、終わったら、帽子をもちまわってチップを要求するのだ。それが船長室に出入りするのだから、我が日本のガイドとは随分違うものだ。
 着いたところが、ビッグベン、あの時計台のビルである。ここは議事堂なのだが、えらい古風であり、ここであのイラクへの参戦が決められたのだなと、感慨深く複雑な思いでみた。
あのブレア首相の顔とこの古風な建物は似合わない気がする。そして労働党というのだからなおさらこの建物とはにつかわない。いずれにしてもこんな古風な建物の中で近代政治が決められるというのが不思議だ。
ここから歩いてもそんなに遠くないが、バスに乗ったら行列があったので、古い寺院教会だなと思い飛び降りた。そして、これはウエストミスター寺院か?と聞いたら、そうらしい。表入り口にはとても行列が長く入れないから、裏口に廻ったらやはり門番がいて入れない。景色の写真だけでなく、僕も入った写真を撮っておこうと方針を変えねばならないほどだ。婦人の二人連れに頼み、その中の一人に一緒に入ってもらった。
次にも又大きな寺院に人だかりだ。報道写真がいっぱいいるから、下車して今度は中に入ってみた。すると結婚式だ1000人ちかくいて黒人が殆どで、相当の名のある人かもしれない。出口はカメラの放列である。
前の道案内の車に大きな結婚する人の写真が掲げてある。新郎の黒人はなかなか男前である。新婦も黒人だった。新郎が、えらく長い挨拶をするし、新婦も長い挨拶をしている。おそらくタレントといった感じである。式の最中に哲顕から電話がかかってきたから慌ててでた。
次はバッキンガム宮殿だ。その前にトイレに行きたくなったので、ケンタッキーに入り食事を注文し、それを持ってトイレに行こうとしたら、ウエイトレスがトイレまでついてきて、「預かっておきます」といって用を済ますまでトイレの外で待っていてくれる。僕にしてみたら用はあるし、ケンタッキーはテーブルに置きっぱなしもできないし、の用件だったのだがやはり、今は特に地下鉄の爆破があったことだし、物を持って何かされたらとピリピリしているのだろう。警官も随分多い。ケンブリッジとえらい違いだ。
バスに乗ってバッキンガムは近いといわれたが、それらしいのが見えなく郊外まで乗ってしまった。その途中で奈良公園の10倍もあるくらいの公園があったから、聞いたら有名なハイドパーク公園であった。
行き過ぎて逆戻りして、やっとバッキンガム宮殿についた。ここは前に来たことがあるから、思いだした。こんな人だかりのあるのを、エリザベス女王は奥にいて知っているのだろうか。
ただ日本の宮城と違うのは、平地にあり、権威が大分違うということを、この前日本の憲法を学んだ時知った。ポンド紙幣に顔が出ているから、みんな知っていて、馴染みがあるはずなのに、ほんの近くまで来てもバッキンガムパラスと聞いても知らないという人がいるのだから驚いた。
僕の発音がおかしいのかもしれない。バッキンガムキャッスルと言ってみたり、クイーンエリザベスキャッスルと言ってみても知らない人がいるのである。
名物は衛兵の黒の帽子に赤い服、それに時間がきたら機械人形のようにパッパッと両側の門が寸分違わず開いての動きだ。威容を誇り静まりかえったなかに突然の動きがあるから、みんなが注目し、絵になっている。まるで玩具が動きだしたようで、オモチャと形容したのがぴったりする。精神のない人工的な動きが共通しているからである。
イギリスで感じることは、日本人のような顔しているからら話しかけても殆ど中国人や韓国人ばかりということに気付く。今、中国がどんどん外国に学びに来ていることは、日本も開国時にヨーロッパに学びに来た人々のあの意気込みと同じではないか。これはきっと中国は世界を動かす国になるような予感がする。
随分日本人が外国に行っているように日本にいる時には感じていたが世界の動きの中での日本人の比率はこんなに少ないものだったのかと知った。
今、日本は世界一だと感じている人々がおおいが未来についてはもう中国の追いつき追い越せが確実にはじまっている。
僕が持ってきた土産品の扇子、電子辞書、それにキーホルダー、人形が皆中国製である。だから隣の席のCueさんにプレゼントするのがちょっと気を遣う。
今日話しかけた日本人らしい人はみんな中国人だった。一人で行動するのでなく集団で観光したり動くことが日本人で、名所にはどっといるが、個人での行動があまりないのは日本人の特徴かもしれない。集団の中にいなければ落ち着かない。人と同じことをしなければ落ち着かない。みんなと同じことをして満足感をもつというのが国民性になってしまったようだ。
明治以来この流れが学校教育で仕組まれみんなと同じ人間つくりをされて戦争に突入し、そしてみんなと同じ教育目標をもって、良い学校、良い会社、よい軍人へ殺到したのだった。
国民が同じ価値観を持つことで、この10余年前まではたしかに経済は成長してきた。そして物は確かに豊富になった。だが一人の人間としての心の豊かさは果たしてあったのだろうか。外国人の毎日の生活と接するとどうも考えさされるものだ。
どこにでもある笑顔や語らいがいたるところにあるが、日本には語らいの集団があまりみあたらないことに気付く。笑顔というのが日本には無いに等しいことを気付く。
個人が幸せに生きているということは、人生わずかなのに、一日一日を幸せに生きること、自分のために生きることでなければ生きた値打ちが少ないのではないか。ヨーロッパは国境が接し、いつも国家が分断されたり、一緒になったりし、国の支配者によって右往左往されてきた経験で出来た。個人の尊さを守ることが実現したからであろうか。
 家で今日はマザーは夜遅くまで外出していたので、ルーマニヤのマリヤと二人だけになった。色々聞いてみた。彼はルーマニヤ大学を出て一度も就職できないという。経済学を専攻したのだったが仕事が無いらしい。社会主義の国だったのだが、経済学を学んだ人たちがこうやって外国に出稼ぎに来ている。スペイン、イタリヤなどにも多く出ているらしい。これは一体どうゆうことなのか、将来は多国で仕事をしたいと言っている。ということは、ルーマニヤに未来は期待していないことになる。東南アジヤの人が日本に来て働いているのと同じ現象がヨーロッパに起きている。物の動きだけでなく、人の流動と商品化がされているのは、マルクスが予言した通りになっている。
これが地球的規模で見ればやはり進んだ国と遅れた国の国際分業である。
レーニンが帝国主義論で分析したのが一国だけでなく今全世界的な動きになってきた。
日本で言えば過去に武者小路が「新しき村」を作って失敗したと同じことがルーマニヤやロシヤなどが長期的にではあるが、似たことをやって失敗したことではないかと感じる。
マルクスの理論から生まれたはずなのに、個人崇拝や、物事の発展形態を一人よがりで解釈し、現実離した観念論になっていいった。ロシヤを中心にした間違いが今はっきり目の前に見えている。マリヤもこの体現者として僕の目の前にいる。悲しいとしか言いようがない。

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by akinishi1122 | 2011-04-19 11:39 | 旅行 | Comments(0)

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