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70歳の留学ケンブリッジ

70歳の留学2005年7月15日 小テスト
クラスのメンバーの名前を覚えねばならないと、全員の写真を一人ずつ撮る。そして名前を書いてもらったり、職業を聞いたらモーリタニヤの人で美人の好感もてる人が、いつもNobutoshi buy,と言ってくれるのは地質学者だという。また黒人でひとりだけサリーは着ないが、なかなかの可愛い美人がMinistry of oil.と書いてくれたから石油大臣であるらしい。すごい人たちが来ているものだ。だが念いりに記録しておかねば、顔と名前が一致しないかもしれないと思う。まだサインをしてもらっていない人が2人いる。いずれもモーリタニヤだ。サリーを着て毎日着替えしてくる。
貴女らはイスラム教か?と聞いたら毎日5回メッカの方向を向いてひれ伏して拝むと、地質学者がやってみせてくれた。
そしてラマンダの月は絶食するというから、それで仕事は出来るのか?と聞いたら夜は食べてもいいらしい。だからうんと夜ご馳走を食べるという。国中がそうだから、夜は賑やかだそうだ。
昼食の時、外でえらい人だかりがあり奥まった建物にたむろしているから、これは何ですか?と聞いたら、モスクの祈りだそうだ。ゾロゾロ入っていくから、僕もついて中に入ってみた。細長いモスクで、一杯イスラム教の信者が座っている。随分入っているが細長い建物だから、祭壇は見えない細い。僕が見えるだけで、2~300人はいるのではないか。ところが不思議なことに女性が一人もいない。この宗教でモスクに来るのは男性ばかりなのだろうか。入室したら、例の頭を床にすりつけて礼拝している。それが終ってからは、胡坐をかいて座っている。なにかマイクで祈り言葉を牧師?さんが説教している。僕には分からないがアメリカがどうのこうのと言っているところをみると、現在イスラムのおかれている立場などを説いているのかもしれない。
僕も座っていると、後から僕の肩をたたくから振り返ると家のヤセド君が来ているではないか。彼は17歳なのに、モスクに来て祈りをするらしい。僕は途中で抜けだして、教室に戻ったが、男性生徒2人がきていない。20分ぐらいして二人遅刻してきた。
男先生が少々怒っていたようだ。モスクに行っていたことも知っていたようで、今日は許すが今後はしないように注意していた。みんな授業が始まっているのだからである。この宗教を先生が注意したぐらいで改めるはずはないと僕は思うのだが。
それにしても女性が一人も来ないし、サリー姿がモスクにはない。いちど家のヤセドに聞いてみたいと思う。また女性の生徒にも聞いてみなければならない。
また座っていると、何か水の滴りがかかるのだが、入り口のところで脇の方に並んで待っている人たちが手を洗ってから、しかもその手を拭かずにどんどん入ってくるものだから、みんな手が濡れたままだ。この宗教のしきたりだろうか。ところが床のカーペットに落ちたら不潔に思うのだが、これも聖水ということになるのだろうか。
カーペットは埃っぽくてどうも衛生的でない。この人たちは気にならないらしく、僕が前にエジプトに行ったときもモスクに入っても同じように埃っぽく、ちょうど土間にいるいような感じだったから、ここだけではないらしい。
中国人の雀君鳴さんは、午後の授業は受けなくて返ってしまった。
 僕にホームステイの費用はい一週間いくら払っているのか?と聞いてきたが、僕は一括して留学の会社に支払って居るから解らないと答えておいた。彼女は息子と同居しているようで、自分で食事は作っているらしい。彼女が「土曜日に自分の家に来て食事をしよう」と誘ってくれたが、そこまでまだ自由に行動できる自信がない。だがこんなに友好的に僕を観てくれていることは嬉しいことだ。
帰りに駅のスーパーに行ったら彼女が僕の肩をたたいたからびっくりした。息子と一緒に買い物に来たというから、この近くに住んでいるのかもしれない。18歳の息子はえらく背が高い少年だ。中国のお金で留学させるとは、この人は相当の収入がある人らしい。日本の20分の1という中国人の給料だから、ポンドにしても決して安くないはずである。むしろ物価は高いような気がするから、中国人の収入にしらし桁違いに一般と違う役職なのかもしれない。
竹下景子似の美人にしては息子は少々イカツイ顔である。息子に「Oure same sutudents」といったら、「Oure same clasmaite」だろう!と直してくれた。なるほどと思う。
学校が3時15分に終わりコンピューター室に入ったら、どうやら日本語を打っている青年がいたので日本人ですかと話しかけて、「日本との交信を教えてくれませんか」と頼んだら、テキパキとYahooの出し方、複雑だからこんなにしたら使えると教えてくれた。
僕のホームページもなんなく出せたので、読者からの通信欄に僕が通信する形で送ったら、家族が見れるなと浮かび、早速打ってみた。たくさん家に今の様子や仕事のことを書いた。ところがなんか文字化けで、送れたかどうかおそらく送信ボタンを打てずに困っていた。すると一番端の方に日本人らしい人が、全て英語を読んでいたが教えてもらった。だから2回目もう文章を長くできなく、閉校時間になってしまった。だから急いで送る。これは送信済みと確認できたから間違いない。もうこれで嬉しくてこの人たちの親切がありがたい。
最初の青年は千葉大学の大学院生で2~3ヶ月ここにいるという。「だったら、あなたは相当上のクラスでしょう!」と言ってみたら、「いやいや会話ができなくて日本の英語は駄目でした」ということだ。
茂木さんというからもしコンピューターが解らなかったら、この人を探して教えてもらえると思う。
また他の女性の名前は聞き忘れたが心強い知人がいることを発見。
帰宅したらすぐ夕食がでた。ロシヤ、中国、メキシコの4人で食べる。ソーセージと野菜とご飯だったが美味しい。ウイスキーの水割りのオールドパーを毎日飲んでいるが、冷蔵庫には氷がないから、氷をくれといったら、無いということだ。だけどもビール代わりにこれでも結構おいしく夕食ができる。
メキシコの女性はもう明日ロンドンに行くというから、ほんの3日ほどの滞在だった。ルーマニヤ人は日曜日に来ると言っていたが、来週に延びたという。
「あなたはメキシコ人が帰ったら2階を使ってください、窓があり外が見えるから」と勧めてくれた。僕の部屋は1階だがすぐ庭に出れるので、ここでもいいのだが、あまり気にもしていないが、引越しを手伝ってあげると言っていた。何をどう引越しするのかスーツケースだけだから、引越しのうちにはいらないと思うのだが。
今日も9時には床についた。体調を保つためにもう完全に時差ボケは治ったし、バス帰宅も完全に自信がついた。

by akinishi1122 | 2011-03-14 15:17 | 旅行

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