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世界旅行(85)オーストラリヤ・ブルーマウンテン

ワンワールド世界旅行(85)
4月13日(日)ブルーマウンテン
 9時半にホテルを出て、昨年、どぎもをぬかした観光地のブルーマウンテンに行くことにした。中央駅からの列車で10時18分発、毎時この時間に出るらしい。オーストラリヤは水が少ないというが、今日は雨模様であるし、森林も多い。昨年僕がボトルの水の残りを下宿の台所の流しに捨てたら、マザーが「勿体無い、これからは部屋の植木にかけてください」と言われたほどだった。
それほど水が大切にされていて、庭の散水にも時間をきめられているらしい。それなのに、僕の家にもプールがあるのは変だなと思い聞いたことがあったが、少ない雨を樋から全部プールに流れるような設計されているらしい。雨水を逃がさない工夫がされ、散水やトイレ、風呂の水は全て雨水を使うという。だから、シャワーを浴びる時、なんか臭い匂いがするなと思っていた。
 プールは絶えずクリーンのための機械が動いていて先ずは捨てないし、泳いでいたら塩水になっていた。時々塩の塊を入れるといぅ。これで水が腐らないことも工夫されていた。そんなことを思いだしながら雨を眺めていた。
 ブルーマウンテンに昨年は2回来たが、そのとき日本人の観光客に沢山合ったが、今日は一人もあわない。ところが今日は中国人の観光客が多いのに驚いた。団体で、バスできているらしい。上海からと言っていたが、最近世界で沢山の中国人を見かけるが、その経済の急成長の表れであろうか。国民も相当のゆとりができてきたことがうかがえる。昼食にレストランに入ったら、30人ぐらいの中国団体でたちまちいっぱいになった。
 ここは昨年来たから、道は覚えているから、歩いているとオーストラリヤの婦人が一緒になって、話しながら歩いた。ここに来ると気持ちが晴れるから時々一人で来るという。60歳ぐらいの人である。道も彼女が案内してくれ、最初にスリーシスターズの岩を観に行く。ここの観光のメインはやはりここである。我々の展望所から3つの岩が各々独立して真下の森からつっ立っている。恐らく100m近くはあるのではないだろうか。下は森になっているから見えない、観光客もここで写真を撮る絶景である。やはり中国人の観光客が多い。若い娘さんも多い。それでも日本人はいない。
湾のようになってその底が森林になっている。垂直に岩が森を囲んでいた。湾をなしている。下は滝壺もあるだろうが、森でみえない。湾の向こう岸までは水平のロープウェイがあり、それに乗ると床がガラスになっていた、真下の森林の100mの上を動くからスリル満天だ。湾の奥からは瀧が森の中に垂直に落ちている。昨年は滝壺を見ようと下ったがどんなに下っても辿りつけずに引き返したところである。
アボリジニの筒笛を吹く原住民はことさら裸の上に白と赤のペンキを体と髪の毛まで塗って原住民であることを強張しているようだ。観光客と一緒に写真にも納まり、なにがしかのお金をもらっている。昨年と同じ人物だった。肌色は黒人とまではいかないがインド人ぐらいの肌だ。髪の毛がちじれている。アボリジニは自分の土地だったのに、いまでは観光客相手に物乞いの商売で生計をたてねばならないとは気の毒である。
ここオーストラリヤはイギリスの植民地だったのだが、当時の原住民がまだ貨幣を使っていなかったのをよいことにした、土地というものがまだ所有されていなかったのを商品にしてしまい、この現地人には度量衡の制度すらなかったのに、酋長にわずかな金で買い取ったいわば騙しの土地収奪だつたから、原住民は土地が誰かの所有物などになることは想像すらできなかったのである。だから今まで自由に森や畑で収穫したり獲物を獲ったりしていたのがイギリス人の所有者から、立ち入り禁止をうけたので怒るのも無理はなかった。相当氾濫が起きたと聞いたことがある。
 それに、この植民地を統括したり、開拓したりするのにイギリス本国からの労働者が必要になったので、イギリス国内で沢山の犯罪者を意識的に作り、ここに連行して統治する手段にしたとされた。日本の教科書などには犯罪者の流刑の土地などと説明されていたが、たとえば教会で帽子を脱がなかった、などということも犯罪者になり、どんどん犯罪者を作り、ここに送りこんだのであった。他国を制圧する国は本国でも決して自由ではありえななかったことの証明である。忌まわしい統治の歴史でもあった。
 その歴史を物語る銅像がリアルに、白人の犯罪者を奴隷にして両手両足を鎖につなぎ働かせて、銃を持つた兵士が開拓のために働いている犯罪者を監視している像としてメインの広場に建てられている。
 それと同じように原住民が強奪された土地や自然を返せとの抗議の像もある。やはり植民地というのはこんな強奪や非人間的な力で統治が始まったのだった。この観光地にこんな像が建てられているのも不思議である。
 インターネットを開いたら、哲信から、メールで、「ちえは8日が入学式で自分は仕事で出れなかったが無事に入学できた。お父さんが帰国するまでは午前中の授業で、午後からは学童保育にしてもらっている、学童保育は気にいってるようだが、学校は嫌いのようです」とあった。僕でも小学の時は何が始まるのか不安だったし、嬉しいという記憶はないし、環境が変わる時は不安になるものだから、暫くしたら友達もできてうまくいくと思うから、心配はいらないと思うが、やはり可哀想に思う。
「ひろチヤンは元気で沢山の言葉も使うし、お父さんが帰国したら驚くことでしょう」とあった。

by akinishi1122 | 2011-01-12 13:10 | 旅行

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