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シドニー湾のフェリーでマンリーまで散策

ワンワールド世界旅行(84)
4月12日(土)シドニー湾フェリー3コースに乗る
 ホテルから、出るとポプラ並木の20mもあるのが続いていて、ここは今、秋に入ったという。ポプラの葉がいっぱい落ちてきていて、その隙間から空の青さが見えるからカラットした空気で気持ちがいい。ホテルから並木を暫く歩くと急な階段になり、120段ぐらいを下り終わると、もう湾がある。最初の港には軍艦が2隻着いているが、ヨットもすぐ近くにつながれているから、共存している。
 緑の小高い山の公園が突き出ていて、これが次の湾を作っている。この緑の公園に直径5mぐらいの大木があり、その枝の葉が50mぐらいも丸くかぶさっているから、天然記念樹のようで、囲いされている。木というものも環境がよければ長生きできるものだ。ちょうど屋久島の1000年杉も自然の環境が守っているから1000年生きながらえているのだろう。あれほどまでではないが、ここは雨が少ないのによく耐えているものだ。
シドニー湾のフェリーに乗ることにした。ここは湾が沢山の入り江になっているから、景色が良いことは昨年2ヶ月いたから知っているから、もう一度観てみたい気になった。ホテルから歩いて20分ほどで、オペラハウスに着く。昨年ここに来るたびに日本人の観光客に出会ったものだが、今日は一人も合わなかった。
この湾を有名にしているのは、やはりこのオペラハウスがあるからであろう。緑と青空、青い海の中にクリ-ム色で貝の形をした異物が突然光っているから、注目されるのだろう。それに湾をつなぐ橋、高さ50m以上はあるだろうから、これも絵になっている。
 フェリーの発着の桟橋広場には、原住民の大きな筒笛の演奏、昨年も同じようにしていたが、今日はその中に子供が入って裸で拍子木をたたいているのが昨年にない風景である。赤い布で、仕立ててなく、ただ腰に巻くだけでパンツになるのがこの原住民のスタイルである。ただ10歳にもならない子供をショーに出すのがショーの価値を高めるのだが、どうもいたいけなくて気の毒である。これは、自分が孫を持つ年代になったから気付く現象かもしれない。
フェリーは確か6コースの桟橋があり、シドニーでは交通の機能を果たしているから、僕もバスが無いときはバスチケットで乗ることができたから、観光にも大変安くついた。
 さしずめ2ツのコースに乗る。湾を廻ることについては、ゴールコーストやマイアミビーチと同じような風景だが、規模と美しさについてはここが最高に美しい場所だと思う。リゾート地というが経済的にも豊かだから建物も海岸にマッチした物ばかりだし、緑が多いことと、空と海が青いから太陽で輝いている。
 マンリー行きのフェリーが一番大きいし、おそらく1000人は乗れるであろうが、このマンリー港には下宿時代に普通のバスが無くなる時間帯と早朝の運行があるから、週末の早朝の旅行の時、下宿の奥さんや旦那が送り迎えをしてくれた港で、思い出になることが多かったので、これには是非乗ることで懐かしみたかった。
 最後のコースでここを選び乗船した。やはりメインのフェリーとあって、観光で乗る人も多い。500人ぐらいはいると思う。僕は往復券を買った。12・8㌦だったが、小銭がなかったので、50㌦紙幣を券売機で買った。ところが釣りのコインはでてくるが、こんなものかとあとで調べてみたら、紙幣の釣りが出るはずであるが、その機能が遅いためにそこを離れてしまって、乗船したあとで気付いたので、もうおそい。30㌦が次の人にサービスしてしまったことになった。やはりどんくさいことを一日に一つはしでかすものだ。
この船は少し外洋も見えるところを通るので、その時は波もおおきくなる。しかしこの湾のメイン航路で市内に通勤するのにも便利だから、結構利用者もおおかったようにおもう。まがりくねったバスよりも早いようであった。
懐かしむための目的だから、同じ船で30分ぐらいマンリーの砂浜を歩いて引きかえす。このフェリーに大阪の桃山学院大学の女子大学生が二人乗っていた。1年休学しての留学らしいが、3ヶ月勉強の後はワーキングホリデーとして働きながらの語学を学ぶらしい。
夕食にはスーパーで、ステーキ、トマト、食パンを買い、ビールは大ビンが冷蔵庫に残っていたから、それで済ますつもりでいたら、僕のビールが無くなっている。だれかが飲んだのだろう。ユースホステルはおかしな人は居ないと思っていたが、こんなことは初めてである。若者が庭で深夜まで飲んだり語り合ったりしているから、飲物が切れたらついある物を失敬してしまうのだろう。
まあこんなことは若い連中だったらおかしくないから、腹もたたず、一日ぐらいアルコールの無い夜があってもよいだろう、という気持ちになった。
 今夜から、日本人男性が一人来て外人と話しながら庭でビールを飲んでいる。イギリス生まれで18までイギリスにいたというから、
英語は自由だ。だが日本の漢字が難しく苦労しているらしい。父親がイギリス勤務だったから、日本の会社に就職していたが、なかなか馴染めず辞めて、いま6ヶ月の旅を続けているという。やはり日本は学歴社会でイギリスの学校を出ても日本では習慣が違いすぎて、馴染めないらしい。いま問題になっている、サービス残業などは彼にしたら、不思議というか、不合理というか、おかしな習慣だから会社と折り合いがつかないようだ。だから日本に帰ってまずかったかなと思っている、とのことだ。

by akinishi1122 | 2011-01-11 13:33 | 旅行

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