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世界旅行(79)チリのブカラ遺跡

ワンワールド世界旅行(79)
4月7日(月)ブカラ遺跡
ブカラ遺跡に行くことにした。3キロの道のりだから最初は歩きだしたが、砂漠の暑さだから、体力が消耗するだろうと引き返し自転車を借りることにした。車が時々行き交うぐらいで、人には一人だけしか会わなかった。車とすれ違うごとに土煙がもうもうと立ち、目が開けられないくらいだ。
 30分ぐらいで着いたが、入り口に1軒だけの家があり、そこには山から流れてくる水路から水がひいてあり、自家用の畑もある。この家だけのための水路だが、そこだけが緑があり、この遺跡の管理をしているようである。入山料として2000ペソを払う。1200年ごろ造られたというがマチュピチュ遺跡を少し小さくしたぐらいの遺跡である。どんな目的でできたのか、城壁といった感じだし、マチュピチュチと違い水が無いのだから生活には向かないのだが、その当時は緑があったとしか考えられない。平地からおそらく150mぐらいの丘に段々の石の塀や家屋だから、相当の労力がいるはずである。恐らく1000人規模の人が生活するだけの住宅のはずである。石積みの技術はマチユピチュに比べて雑だし、加工技術も劣るが砂漠という条件を考えると労働の困難さは、同じであったろう。ここもまだ解明されてないらしいが、相当の権力者がいたことは間違いない。それが宗教と一体でなければ何百年の年月をかけた工事はできないと思う。
 ここも文字が残されていないから、まだ解明の途中らしい。こんなに大きな遺跡なのに僕一人だけの見学で写真を撮るにもシヤッターを切ってくれる人もなかった。先に帰りかけた人が3人、後から来た人5人ぐらいであった。
沢山の屋根の無い部屋があり、生活していたのは間違いなかろうが、どうしても生活には水が欠かせないのにその時代にはまだ気象環境が違っていたとしか思えない。
 解説者もいないし、本にも歴史が書かれていないから、解明も今後の課題だろう。
街に帰り、考古学博物館に入った。この付近の考古学遺品の整理が始まったのが1963年というからごく新しい取り組みである。そこに30万点の発掘資料が展示されているが、土器、弓、槍、鍬、などが全て全世界で人類が発達するに当たって造った道具は共通している。やはり最初は石の斧であり、石の臼、石の槍で動物を捕らえたり、皮を剥いで衣服を作ることであった。それに土器で食物の貯蔵、飲料水の保存のための土器の製造である。面白いのは、鉄を溶かすための鍛冶屋に必要なフイゴで日本にもある、僕も戦後に使ったことのある足踏式のが全く同じのがあった。そして中国や日本の各地に出土する銅鐸が形も同じ、材料も銅で同じである。宗教的にも同じ道具が使われるとは、人間が考えることはみな同じであるようだ。集団生活は狩や農耕に始まり、集団生活の中から分業も始まった。農業、工業、武士と分かれていった歴史である。日本でお茶の碗が茶道として現代でも使われているが、それと同じ物がこの地球の裏側でも使われていたということに驚く。機織の道具も、カゴを編む技術も同じである。「猿が人間になるに当たって労働の果たした役割」というエンゲルスが書いた労働が人類を創ったという発展史が全く正確であることの証明である。
 パソコン店で開いたら後藤文子さんから、何時帰国されますか?早く元気な顔を事務所に見せてください。とあった山の会の事務所が移転してからまだ行ってないから、事務所を見てもらいたいということだろう。もうパソコンも日本で使っていると同じように使える日常となったから、パンダネットの囲碁も見れている。残念なのは日本と12時間の時差だから約束していた福島さんとの海外からの対局ができないのが残念だ。

by akinishi1122 | 2011-01-02 12:59 | 旅行

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