人気ブログランキング | 話題のタグを見る

世界旅行(26)

ワンワールド世界旅行(26)
2月15日(金)モン・サン・ミッセル日帰り観光大西洋岸
 朝4時に起き、7時15分集合だから早朝の地下鉄は何時なのか時間を気にしながら、駅に行く。5時10分から待つこと40分でやっと電車は来た。ここの人は時間を知っているからギリギリになると結構一杯になった。
 集合場所に着いたのは1時間前だから、僕が1番でボチボチ集まるのは日本人ばかりである。日本人専用のツアー会社であるらしい。朝は寒い。
朝食は電話ボックスの中で食べた。45人座席に21人だからゆったりとして、一人で座席が座れるから楽だ。
7時30分出発で同じモン・サン・ミッセルに3台が出るからなかなかの人気のある観光地らしい。
4時間半の片道の2時間は霧が深く外の景色は見えない。どうやら、大西洋沿岸に向っているらしいが座席がみな離れているから会話がない。ガイドさんは男性の日本人だからなかなか分かりやすくてよい。
 いちど休憩して着いたところがモン・サン・ミッセルだった。ちょうど宮崎の青島のように陸から500m位沖に島があり、そこに修道院が900年代に建築がはじまり、1400年代に完工した500年の工事だったらしい。100年前に島をつなぐ道路が完成したので今では観光地になっている。この島の向こうはイギリスだから、パリから350kmぐらい走ったことになる。
修道院が城と兼用になっていて、外敵から守るために600年前に大砲も備えつけてあるが、その弾がなんと丸く加工した直径40cmの石である。とても機敏に装填できそうにないが、飛んでくる弾丸も見えているから、避けることができたらしい。
だったらなんの為の大砲かと考えられるが、攻めてくる大軍への威嚇でもあったのだろうか。城は海面から150mぐらいの高さで全部石でできているからこの工事はさぞ大変だったろうと思っていたら、城の頂上に近いあたりに直径15mぐらいの水車のような車があり、そこに水のかわりに人が何人か乗ってちょうど二十日ネズミのように車を回してロープを巻き上げるらしい。なるほど、考えたものだ。ひょっとしたら何処の工事現場でもこれを利用したのではないか。
この築城に威力を発揮したのが船である。周囲が海だから、色々の地域からの石材がここまで運ばれるのが便利であった。そして運んだ人のイニシャルが刻まれている。功績を示すのは、豊臣秀吉もこのようにやらせたから、どこでも似たようなことをやるものだ。
修道院といったら女性ばかりかと思ったら男性も居たという。そして悟りを開くのは1000人ぐらいの中で一人ぐらいというから、その悟りというのはどんなものなのか聞いてみたいものだ。
 砂浜が無限に広がって海が見えないくらい遠くにあるらしい。丁度干潮で見渡す限り砂である。・満ち潮の時は1秒間に1mの速さだから遠くまで行くのは危険らしい。それに見たところ砂が沼状態にあり、ずぶずぶ足がとられるらしい。
この地方はノルマンデイー地方といって、ノルマンデイー作戦という映画があったがアイゼンハワーがここでのナチス軍を打ち負かしたことで英雄となり、後に大統領までなったいわれの地域だ。
また、この地方には北賊といって絶えず北の方から財産を奪いにくる海賊がいて作物の豊かな地域だったらしい。そのうちに北賊がここに定着してここの先祖は子孫が混乱しているらしい。いずれにしても350kmも離れた地域に、途中には街らしいまちがなく、牧場ばかりで、フランスは農業国だということがわかる。今は冬だから、殆どが落葉樹で寒々としている。だが日本の冬と違い木枯らしが吹くというのが無いらしいので、みんなそんなに厚い防寒着はみかけない。
今日の日本人の中に83歳の老婦人がいた、背筋がしっかり伸びて歩き方や階段も150mの高さまで歩いている姿に僕も励まされた。丁度10歳先輩がこれだけ元気だとは僕もあと10年は旅行ができるモデルに出会えて、これも今日の収穫である。
 パリに帰ったのは8時15分でもう真っ暗であつた。下車した場所が違っていたし暗いから日本料理の「10時や」がみつからず、やはり日本人がやっている店で味噌ラーメン、とビールで夜をすます。
ホテルに帰ったのは10時を廻っていた。

秀吉の築城ならむ冬の城      モン・サン・ミッセル城

by akinishi1122 | 2010-11-01 09:50 | 旅行

<< 籾糠山 岐阜 今日の一句 >>