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70歳のケンブリッジ語学留学(3)

70歳の留学 (3)
7月12日(火)一人で帰宅できる
昨日昼寝を4時間ほどしたので、今日は3時半ごろ目が覚めた、日記を書き、それでも(旅日記に2時間)まだ十分に余裕があった。朝の明けるのは、日本と変わらない、4時過ぎにはもう明るくなっている。夜、暗くなるのは9時過ぎてからだから、夜が短い国だ。学校からの帰り道もバスが、曲がりくねって解りにくいから、やはり今朝もヤセドにいっしょに行ってもらうことを頼んでいた。8時30分ぐらいに出たらいいのかなと部屋にいると、彼がもう登校の準備して僕を待っていてくれたから、慌てた。朝食は抜きだ、Ms Mishell が起きてこない、そういえば朝食はこれでしてくれと沢山のコーンなど7種類と牛乳を並べてくれてあるが、どうも勝手に食べたらいいらしい、悪いと思いMs Mishellが起きてくるのを待ってくるのを待っているのが間違いだったようだ。
朝7時ごろ散歩に出た、同じ様な家ばかりだが、庭は緑の木がいっぱいで道路も緑だから気持ちがいい。なんの花だろうか紫が多くバラの花も、そして西宮の家にある花もいっぱいある。サクランボだろうか大木に実が稔っているが、どうやら食べる様子はなさそうだ。
この木の下でラジオ体操をして体調を整えることにした。庭は共用で広いが、人影は一人もなかった。
バス停は家から1~2分程度だが、便利ではあるがこの路線に乗ってからが地図を追ってもくねくね曲がりの運転だから覚えるのに時間がかかりそうだ。結局二人で出発したがMs Mishellは起きてこなかった。
学校は9時開校、今日は新顔の女性で50歳ぐらいの人、僕の向かいの席に座った。「Are you Japanes?」と聞いたら、「Im Chaina」ということだ、上品な顔をしていて、竹下景子を思わせる。休憩の時間に聞いたら、山西省の炭鉱に勤めているという。雀君鳴と僕のノートに書いてくれた。Jun MingCuiと中国語の発音はオーチーミンというらしい。煤炭 coal industry Manager というから探鉱の所長だ、大幹部である。日本だったら大企業の社長並みである。おそらく何千人の社員がいることだろう。写真にも収めておいた、英語についてはあまり得意ではなさそうで、Gavamenntということが理解できないでいた。だが石炭については地下資源の問題で日本とやり合っているねと僕が言うと、そうだそうだと笑顔で応対してくれ、この人とは仲良くなりそうだ、午後の授業は来なかった。
教師に「テキストブック貸してくれないか?」と質問し「私は金がないから」と率直に言っているから、中国の元はやはり外国との格差で損をしているのだろうか。
輸出するには得なのだがいざ外国で生活するとなると大部損な勘定になるようだ。
だがうちのホームステイのboyに聞いてみると彼の父は貿易をしているといっていたから、大分個人企業では自由にお金が使えるのかもしれない。中国経済のひずみがこの二人で面白く観察できた。中国は社会主義のなかでこのように矛盾をはらみながら動いているのだなとはからずも知ることになる。
我が家の季意少年は、16歳で留学できるのだし、国の炭鉱の経営者は教科書を始末するのだから。
今日の授業は朝2 lessonが女性教師、所有格の一人称、二人称、三人称をくりかえしやる。
午後は男先生で家族との関係、自分が祖父母と兄弟などの関係を説明するときに必要だからこの関係を英語で説明出来るような教育だ。
例によってアラビックは私語が多い、全員がアラビア語を喋るから、先生の話の後に「アラビイックで言えばこうだね」などといっているに違いない。
国は違っていてもアラビア語が全て通じるのだから、そうなって当たり前かもしれない。先生が「静かに!」と何回も繰り返す。僕だけはポカーンとしている、10人の中の一人だから。
3時15分に授業が終わり、今日は一人で帰ることにした、ヤセドに大丈夫と言っておいたが自信はない。だがいつまでも彼にお世話になるわけにはいかないし、じ時間も十分あるから駅まで歩き、学校で地図をもらって説明を聞いたら、その事務員さんは僕の家の近くでバス停も一緒で、「今朝あなたをバスで見た」といってくれた。下車停と乗るバス番号を教えてくれた。
駅前でCity 1に乗ったがくねくね曲がるからどこを走っているのか解らない、暫く走ったところで運転手に「May I teache me my get of sutaition ?」
と聞いてみたら、あなたは逆の方向に走っているから、すぐ降りなさい、そして反対の方向ノバスに乗りなさい、とのことだ。同じCity 1
でも巡回するからどんどん遠周りしているらしい。
下車したらまた沢山の乗り場があり、僕の地図を見せて3人もの人に聞いた、三番目の人が同じバスに乗りこんで僕の近くで降りていったが、これは馴れるまで相当こんなことが続きそうだ。
おなじCity 1でも行き先を読まねばこんなことになってしまう。このぶんだと明朝はどの行き先に乗らねばならないか注意せねばならない。同じ学校に行くにも昨日と今日は下車停が違ったのだから、この意味をヤセド君に聞きもらしたのだった。
それでも念のために運転席の横に座って下車停を教えてもらうことにしていたら、ちゃんと「ここだ」と指示してくれて、到着だ。
Ms Misellに説明したら、「あなた逆(opposite)に乗ったのね」と大笑いだ。
朝は少々冷えるが昼過ぎると暑く、道を歩くのにも木陰を伝わねば日本以上に暑い場合がある。ところが木陰に入ると爽やかだから面白い。
早速風呂に入り頭を洗いサッパリした。夕食は5人だ、今日からメキシコから二人の女子高校生が入ってきた。だから都合6人のホームステイになる。焼肉とご飯、野菜サラダが出ていたが、僕はご飯は残すぐらい多い。メキシカンも高校生だからぜんぶ20歳以下、の生徒と一緒になることになる。
まあ体調を崩さないために早く寝ることにする。夕食は9時だからまあ早いといっても外が明るいだけで日本の時間より遅いくらいだ。息子のToshuaは昨日も今日も裸だ。人なつっこくて話くれるがサッパリ解らないがドッチボールとして枕を投げあって遊んでやったら風呂までついてきた。

by akinishi1122 | 2010-09-20 07:35 | 旅行

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