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(6)ルクセンブルグからベルギーへ

(6)旅日記10年8月2日 ルクセンブルグからベルギーのLiegeへ
ルクセンブルグというのはあまり日本の旅行あんないには見かけないが、一人で旅をするにはなかなか静かで緑が多く僕は好きになった。第一日曜となるとバスがいつくるかというのが誰も知らないというのが気にいった。ゆっくり自分を休養のために拘束してくれるのがいい。そんなことでもなければ我々日本人は少しの時間を惜しんで動きたがるということもここでの発見だ。
 昨夜ホテルでヂナーをとり、ビール3本をとってスペインの学生と一緒に飲んだから精算したらなんと25ユーロしか請求がない。料理はソーセージ3本、野菜さらだ、枝豆それにパンがついていたし、僕はほんの少ししか食べれないぐらいのボリュームだったし、ビール3本も飲んでこれだけだから気の毒なぐらいに思う。
ホテルでベルギーのホテルの予約をしてもらったが、これはユースホステルだからサービスしてくれる。だから安心だ。ベルギーのブリセルは3年前に行ったし、ここルクセンブルグでの田舎のホテルで感激したから、大都会よりも味わいを見つけたので敢えてブルセルにしなかった。
平日がから10時5分のバスに乗りルクセンブルグから30キロの地点だから30分で駅につく。本当は3日間の日記を送信できずにいたから、駅前でパソコン店でインターネットを開き日本からのメールや僕の日記を送信したかったが、30分ほどでベルギー行きの列車が出るというので、残念だが市内の観光も諦めることにした。「せっかくだから何でも」という旅はしないことにしたい。これは日本人的な欲張りをなるだけ避けたいのも外国旅行の目的だからである。
3時間ほどでLiegeの町に着くというから、サンドイッチ、水、ビールを買って乗りこんだ。この列車は国際列車でありながら1等車はない。普段着の人々との乗り合わせである。ベルギーはルクセンブルグからは国内線みたいなもので、各駅停車にちかいようにいくらでも止まる。
だかから荷物のある身だからトイレに立つにも駅を出て人が動かないことを確かめてたたねばならない。荷物を座席に放置しているからである。4人掛けのところを僕一人で使ってもいいぐらいの乗客である。だから若い女子学生が隣の窓際にいるから頼んで席を立つことにした。
ルクセンブルグから出るとすぐ郊外の畑や放牧場、それに川沿いに谷間を縫うように走る。ぽつぽつとある家がみんな平屋で庭には塀がないような家ばかりである。塀というのは日本のは高いのが普通だが、考えてみると何のための塀かとなると、やはり外敵からの防備なのだろうから、これは日本でも都会だからであろうか。僕の生まれた地方でも塀のある家はあるにはあるが、圧迫感というのは少ないと思う。
できることなら、塀のいらない家があればどんなに安らぎがあるだろうにと思う。人を疑う習慣には防備の必要があることはなんだか人間が人にたいして警戒をするということだからこんな郊外の家々をみていると、何と幸せな里であろうかと安らぎを感じる。
誰とも話すことのない3時間の旅だったがこんなことを考えているとひとつも退屈することはなかった。
Liegeに着いたのは1時45分だった。僕は田舎町と思って選んだのだったが、着いた駅は超近代的な真白の金属で天井がキョウセラドームのように高く流線形で、おそらくブルセル駅よりも近代的ではないか。田舎町と思ってのは僕の勝手な想像でしかなぁつたことがわかる。
駅前には古い建物でブルセルの街とそんなにかわらないのだ。「地球の歩き方」本に紹介されてないのは不思議なくらい大きなまちだ。
パソコン店にはいり溜まっていたであろうメールをひらいた。岡山のD先生からはいつもながら丁寧に読んでいただき、僕の旅を一緒にたどってくださっているようで嬉しい。やはり誰かが関心をもってくれていることは、僕の旅の楽しみとスリルでもある。
久留米のT氏から早速「今晩は 坂口さん。また世界の一人旅断行されましたな。素晴らしい行動力感服します。何度も読んでいます。僕もいろんな考えを伝えたいです。時々メールください。僕も近いうちにまた一人旅にでるつもりです。パソコン持っていきます。体に気をつけて無理しないように頑張ってください」T
Tあsんとはオーストラリヤで一緒になり横断列車で4日間Tさんのハーモニカのおかげで外国の人々とも楽しく旅ができた縁である。家にも着ていただいたし、先月は僕も久留米の家に寄せてもらった仲である。奥さんが存命の間に是非寄せてもらいたかったのだ、残念で初めてお会いするのが仏壇の奥さんだったので残念だった。
オーストラリヤに居る時奥さんが是非と招待をしてくださっていたのに、それができなぁつた。
ブラジルの智子さんからも来ている。
パリ旅行ですな!!お元気で安心しました。くれぐれも泥棒に気をつけて旅先の人々の人情に存分触れてください。5月からカタール航空にブラジルとの直行便が運航されると聞いています。石油マネーの国々がJALに代わる日本との航空路線になるとはなんか悲しいかな日本!頑張れ日本!がんばれ日本!とブラジルにいながら、人ごととは思えません。
老若男女、やはり国の力は元気がポイントだと思います。坂口さんのようにお元気な前向きなじ人生観を持てるような方が社会に増えることを・・・それではまた旅日記を楽しみにさせていただきます。  智子
彼女はサンパウロで今年の4月お世話になった、元ニッケイ新聞の記者をしていて、小さいお子さんを連れてサンパウロを案内していただいた。神戸の出身でなかなか親切な方である。
 僕の日記はやっと3日分そうしんできた。だが日本文字が打てないのでコピーを送信するだけである。
哲顕から携帯メールがはいった。ちえちゃんとひろちゃんは優紀さんの実家に行っています。囲碁は時間をみつけて連れていこことにします。
とあった。夏休みだから学校の延長のような学童保育よりものびのびとじじやばばの
家で遊ばしてやるのは夏休みの思い出としていいことだと思う。賛成だ。
 ホテルはなかなか立派で建物も新しい。とにかく中央広場と駅までバスででてみた。これだったら人口も20万人以上はいるのではないか、そして古い建物も多いからやはりパリなどと同じぐらいの歴史の古さはあるような気がする。
朝からパンだけだったから、マスカットを買い市役所前の広場で人の流れをみながら食べた。
おお雨がきたので急いで帰る。傘をもたずにきたから。
 ホテルで「現代短編小説選」の秋元いずみの「銀の鳥」を読んだ、先月琵琶湖で文学会の全国研究集会ではじめて彼女と合ったが大変若い作家でびっくりした。79年の生まれだからまだ31歳というところだ。
 未婚の母と娘、小学4年生の架南が作文がなかなか上手である。だがその作文が破られてゴミ箱にすてられている。いじめではないのかとの疑問から担任の秋子は架南に関心をもつ。その日脊中にみみずのような赤い線が秋子の目にとまる。聞くと、転んだというが、転んでできるような傷ではない。
その後作文コンクールがあって架南の作文が賞をもらったが、学校にきていなかったのでその賞を届けることを理由に訪問した。母は夜の仕事にでている。架南は賞はいらないという。あの作文は本当でないからという。
「私のお母さんは朝早く家をでます。お弁当屋さんの配達するためです。夕方からはけいび会社のお仕事に行きます。とても大変です。だから私はお母さんが少しでも楽になるように、お手伝いをしようとがんばっています。私がお手伝いをするとお母さんはとても喜びます。」
また「私にはお父さんがいません。会ったこともありません。顔も知りません。でも悲しくありません。だってお母さんがいるからです。私はお母さんが大好きです」と書いているのが賞をもらったのであるが、それが本当のことでないという。
 おそらくお母さんが大好きです。というのが毎日虐待され、アパートの家主からも秋子に連絡がくるほどだからである。
 校長に相談したら、「親が子供をなぐることはよくあることだ、あまり深入りしないほうがいい、逆に母親からいらぬお世話だといわれたらどうする」といった一般的な話におわってしまう。
 小学4年生といえばもうじき家のちえちゃんの年である。4年生で母親の気持ちをかばって自分が悪いんですと先生に言うとしたらと思うと胸が重くなる。もうそんなことが解る年齢にわが孫もちかずいてきたのかと小説が教えてくれた。

by akinishi1122 | 2010-08-28 22:58 | 旅行

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