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チリ・バルパライソ

ワンワールド世界旅行(69)
08年3月28日(金)バルパライソ東海の岸絶景を観る
 朝インターネットを開いて送信してる最中に名古屋の理恵さんからメールがはいっいた。「こんばんは」とある。もう日本は29日の0時になっているらしい。地球の裏側で丁度12時間の時差である。「今パソコンを開いたら、丁度のぶさんからの日記が届いたところです。早速読ませてもらいます」とあった。やはり日本人と接することがないので、こんな便りあるのは日本とのかかわりが少しでも感じられるから嬉しいものである。彼女は1級建築士で今夜も忙しいだろうに、6月からの留学に備え目的をもっての仕事中だから、心から声援したい。
彼女は毎日、律儀に返信してくれるからその便りを心待ちするようになった。心の優しい人である。同じ建築の業界だから留学後帰国し独立したら、建設トラブルの相談にはお手伝いできると思う。
 ホテルのおばさんに「どこか近郊で観光のお勧めの所はありませんか?」と電子辞書でのスペイン語を覚えて大きな声で聞いた。すると、ととたんに笑顔になり、主人も呼んで、地図も持ちだして、「ここがお薦めだ」と鼻を指で突き上げた仕草で(自慢の場所だ)というジェスチュアーをしてみせてくれた。
 そして「グラシアス・セニヨリータ」とスペイン語でお礼をいったら喜んで抱擁してくれた。もっと早くスペイン語を使うべきだったなと思う。やはりその国の言葉を使うことは親しくなるコツだな、とおそまきながら知ることになった。僕にしても僕を日本人と見た人が「コンニチワ」と声を掛けてくれる人には親しみを感じていたのに自分は今まで気付かないでいて、うかつだった。だから「グラシアス」を頻繁に使うようにした。すると出かけるときでも「アデオソ」と言って送り出してくれた。
 パソコン店でホテルのおばさんが奨めてくれた地図を見せどのようにしたら行けるか?と聞いた。するとこの主人が「ちょっと待って」と言って、自分が送るとバスの乗り場までついてきてくれた。そしてたくさんのバスの中から手を上げて止めてくれ、運転手になにか話して僕を運転手の隣の席に座らせてくれた。お礼を言おうと思って振り返ったがもういない。
なるほど東の海岸沿いを走り、どんどん街並みが綺麗になる。運転手が下りなさいと指示したので下りたら、なんとコンピューターの主人も同じバスに乗ってきているではないか。自分もここに用件があったのであろうがビックリしたし、感激だ。そして大きな交差点でこの周辺の見所と海の方向も教えてくれた。
 すぐ前の100mぐらいのところに公園があり古風な立派な建物があったので写真に撮っていると、肩をたたかれたので振り向くと、彼がいるではないか。
僕の後を見てついてきてくれたのである。なんと親切な人だろう。彼に写真をとってもらい、彼の写真も撮ってお礼に電卓の土産を渡し握手して別れた。
 この建物は国立の考古博物館だった。外にはイースター島の石の像が立っている。高さは3mぐらいあるが基礎までいれると5mはあるだろう。来週から行くイースター島の先取りした思いだ。入場料は1500ペソだが中に入る。するとイースター島からの出土品がたくさん展示されている。
ここで気付いたのは、石臼、石の包丁、石の斧、弓、矢、釣針、首飾り、土器などどれをみても、中国、エジプト、ポーランド、日本の、アイヌ、沖縄など全て共通の物ばかりである。すると人類の発展は歴史の年代が、各国違っていても全て同じ発展形態を辿っていることがわかる。「猿が人間になるに当たって労働の果たした役割」というエンゲルスの本が全く正しく指摘していることにも改めて驚嘆した。人類が人間になるということは労働することによって猿との違いに分かれたのが、生産する用具が原始的には同じ道具が自然にどこでもあみだされるということだ。だから全世界のどこをみても同じ道具の石で始まっているのだ。火の利用によって生産技術も飛躍的に発展したが、その初期でも首飾りなども「火」の利用で金属を溶かし人間の装飾品や支配者の権威などの王冠などもみな文明の進歩の利用が共通しているものだ。
 イースター島以外の陸地のアンデス山脈近くの古墳からも大体同じような出土品がでている。そしてイースター島では船に帆と補助のボートの着いたのも発見されていて、太平洋のアジヤなどへの交流も海流に乗ってあったのではないかとの軌跡が描かれていた。そして原住民の顔が東洋人とも似ているし骨格や肌の色も似ているのだから、人類の歴史はほとんど源流にかわりはないのではないか。日本と全く反対の裏側にきてこんなことを考えた。
 海岸まで歩いて10分ほどだが途中の店に絵画店や絵を描いている人がいるのに気付く。なかなか店の品格もセンスがある、並木も気持ちよい。海岸には洒落たレストランがあるがその屋根に萱をかぶっているのが気分がよい。たくさんのホテルが海岸に立ち並びリゾート地になっていて、ここを見ずにバァルバランは語れないことがわかった。海岸には波除に原石岩が使われていて、コンクリートが無いのがいい。砂浜ではたくさんの人がビキニスタイルで干している。ビーチパラソルには萱の屋根で作られている。日本の反対側の太平洋の波だ。日本まで続いているのだなと不思議に思う。 
もっともっと海岸沿を先まで行きたくなり、バス停の案内に聞いたら、ずっと海岸沿いを走るバスを教えてくれた。サーフィンのボートを持ち込んでいる青年がいたので、きっと荒波があるはずだ、と判断した。すると左手が海で岩あり砂浜ありで太平洋の波が打ち寄せてくる。40分ほど走るのに、こんなに美しい海岸もあったのだなと我ながら、判断の良さに満足した。
僕だけになったので最後の人といっしょに下りた。バスはまだ先に行くが運転手と僕だけでは「何処に行くのか」と聞かれては困るので下りることにした。
まだまだ海岸はあるのだが引き返すために、小さな部落で60歳位の立ち話してるおじさんに、帰りのバス停を聞いた。するとどこでも手を上げたら乗せてくれるというのだ。僕が日本人だと言うと、「ヒロシを知っているか?」と言うのだからあきれてしまう。そんなもんであろう。だがこの人とにしたら日本人についての知識がそのヒロシさんという人を僕と合ったことで想いだしているのである。僕と合ったことも、この人にとっては日本とのかかわりになるのであるから、コミニュケーションが少しでもできたことになる。僕との出会いもこの人のヒロシさんという人とのかかわりを思い出してくれたことに役立ったとなれば、嬉しいことである。
帰りに、あのコンピューター店に寄より、お礼の報告をする。そして日本の新聞でニュースを読む。海上自衛艦が漁船と衝突し魚船員の二人を死亡させたらしいが、石破防衛大臣が責任逃れのために「海上保安庁の捜査に任せている」と言っているしい。おそらく処理を間違えば国民感情を反自衛隊に駆り立てると恐れているのだろう。
ホテルに帰りステーキを焼き、トマトなどで料理しようとしたらマザーが肉を焼いてくれ、おまけにスパゲチーなども作ってくれた。主人も自分愛用のワインを空けてくれ一緒に飲もうと誘ってくれた。今朝のスペイン語の挨拶をしたから急に近しくなってくれた。僕もビールを出して奥さんにもすすめて一緒に飲んだ。言葉の力というものはえらいもんだ。ここの娘から電話がかかってきていたが、奥さんが、娘は少し英語ができるから僕に話せという。だから「お母さんたちが親切だから一遍にこのホテルが好きになって喜んでいる」と話した。そうしたら娘も喜んでいてまた母親にかわり、僕の言ったことを通訳したのだろう、母親が話しあと、もう一回僕に電話に出ろといって娘が「母親も貴方を気にいっている、ありがとう」と娘からお礼だった。
夕食を過ぎて8時だったので、散歩に出ようと外に出たら、パトカーが止まり青年を後手に、手錠をかけて車に乗せている場面に出会った。だからやはり夜は危険だなと判断し外出はとりやめにした。

by akinishi1122 | 2010-02-05 11:59 | 旅行

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