人気ブログランキング | 話題のタグを見る

私の旅

失敗だから楽しい旅(一人旅のはじまり) (1)

        
私の一人旅は70歳からでした。現役時代は、なかなか休暇がとれなくて、せいぜい10日がせいいっぱいで、それもツアーが大部分でした。ツアーはそれなりのメリットがあり、ご馳走があり、一流ホテルだったり、ガイドつきで旅行のプロがお世話してくれるのですから、気楽に行程に従って動けばいい。そして安全でもあります。だけども旅の印象については、なにか物足りないというのが、つきまといます。
ことに「外国旅行となると、用意されたメニューでは、現地の文化や生活の実態を現地の人々から直接体験するということにはなりにくいので、不満がつきまといました。そこで現役を離れた機会に外国の一人旅ができるために、考えたのが、英語を話せるための留学でした。これが70歳の留学です。日本でも「ノバの駅前留学」などにも行ったのですが、若者の現役学生と同じクラスではどうも太刀打ちできず、やはり日本語の全く解らないイギリスの家庭にはいり、子供が言葉を覚えると同じ環境であれば気楽だろうと思い、家庭からケンブルイッジの語学学校に入ったというわけです。
始めにクラス分けのテストで、自分のレベルに合ったクラスの編成をしてくれました。そこにはサウジアラビヤ、ポーランド、ロシヤ、中国、モーリタニヤの人々で、年齢も様々ですが、語学力がほぼ同じだから、気楽です。
この学校で感じることは、まづ先生が私服で、しかも人数が10人ぐらい、そして教える内容が、絶対に「駄目だ」とか「ノー」とかの言葉を使わないのです。「ニアリー(近いね)」「ぐッド(いいね)」「エクセレント(素晴らしい)」という言葉だけしか、生徒の発言にたいしての言葉です。ですから(自分の言葉でいいんだ)(こんな程度で通じるのか)(褒められた)などと感じるから、英語が楽しく学べるのです。日本の英語教育と大分違い、好きになる「言葉」と「自分の英語で通じた」いうことが、入門には必要だなと感じました。
クラスには、モーリタニヤの石油大臣(女性)植物学者、地質学者いずれも女性、サウジアラビヤの国王の息子、中国の炭鉱の女性副社長などが一緒で楽しい授業で、失敗ばかりですから、恥ずかしさがない、恥ずかしさの無い授業が、なんと楽しいものか、ということを味あいました。
そして、それぞれの国の人々がその国では肩書きがあるのですが、そんなのは、外国ではなんにも気にならないのです。一人の人間の友人として付き合う関係というのが、なんて気楽なことか、ということの開放感です。全部愛称で呼びあいです。私も「ノブサン」で呼ばれました。
だから私もかじか会の女性にはみんな名前で呼ぶことになりました。すると親しみが、日本でもでるのものですね。
そんなことをかじか会で話したら、「同窓会などで○○チャンなどで呼ばれると嬉しくなり、若い気持ちになる」などの反応を得ています。
学校への通学は自転車でしたから、毎週、週末の金、土、日と自転車を列車に積んでイギリスの地方を回る旅をしたものです。列車に自転車を無料で積めるから、ありがたく、ホテルを探すのに便利だし、その地方の人々との会話ができ、人々の親切でホテルを探したり、観光案内にない、自分で見つけた田舎を自分の足で歩くのですから、印象も残るのです。
風景というよりも、人々との会話によってその時の風景を思いだすというのが、私の旅のパターンになったのは、自転車の旅からでしよう。
イギリスで出来るのだから、ヨーロッパにも自転車で行ってみよう、というのが「ヨーロッパ18カ国自転車の旅」となったのです。
「よく一人旅ができますね」などと言われますが、言葉にしたら英語が少々、それ以外はもっぱらボデー・ランゲーギ(ゼスチュアー)で十分です。
その方が世界の人々の親切が多く得られるようです。家庭に招待されたり、またホテルもユースホステルというのが世界の人々と同じ部屋で寝たり、食事を共にできるから、友達が毎日できます。だから旅の情報もここで仕入れることが、大分部できます。

by akinishi1122 | 2009-10-21 12:32 | 旅行

<< 今日の一句 今日の一句 >>