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ブダベストかラオーストリヤへ

09年9月16日(14)ブダベストからオーストリヤウインへ
ホテルから直線で駅が見えているから、行く方向のバスに乗ったら、すぐUターンしてしまったから慌てて次で飛び降りたが、バスのドライバーは確かに駅に行くと返事していたので、あとで考えてみると、違つたコースで駅へおそらく行くのに僕は慌てて降りたと思う。だが仕方ない。それから歩いて駅まで行き、8時に着いた。汗だくである。
駅でオーストリヤのウインまでのチケットを頼んだら、ユウレルパスはそのままでいいから乗りなさい、ということだった。
ハンガリーの金で小銭があったのをハンバーグ、ビール、マスカット、桃、雑誌などを買い残り12000ぐらいの紙幣になったのをユウロに換金したら、なんと50紙幣が2枚とコインが4枚になるにびっくりする。ハンガリーは貨幣の単位が大きい。おそらく20年前の社会主義体制の崩壊の時の格差がそのまま続いての名残であろう。
列車に乗るために立っていると、私服で、こまごまと乗客を世話している人がいたので、僕もこの男性にチケットを見せてたら、の荷物を座席まで運んでくれ、上の棚まで乗せてくれた。だから苧や親切だと思い、土産の扇子をプレゼントしたら、それはもらって、あとお金を数える仕草で要求するのである。なるほど親切というよりも、これは商売だったのかと感謝の気持ちが一遍に薄くなった。コインを2枚渡したらそのまま消えていった。
6人掛けの個室で一人いたら、ドイツの医学生という青年がはいってきた。この列車は僕が昨日時刻表で書いてもらって、国境の町まで行くのより30分ちかく遅れの9時8分発という。そしてウインに着くのが12時9分というから、相当な早さで、国際列車のようだ。ひとつおいて隣に日本人夫妻と40代の紳士が乗っていた。
暫く掛けさせてもらい、話していると神奈川の方らしい。一人の男性はハンガリー語が堪能で通訳やコンサルタントをやられているらしく、みんな感じのよい人である。奥さんはことに上品で美しい。長い休暇の旅らしいから、大学の先生みたいなタイプだが、まだ仕事をしてるとのことだったが、もう60に近いような感じだ。大学の先生のような感じだと訊ねたら、奥さんのお父さんが大学の名誉教授らしい。考古学教授だったらしく、このご主人もそんな関係の骨董の店を経営されてるらしく、名刺もいただいた。
ハンガリーから、オーストリヤまではなだらかな平野で緑が多く、住宅も森の中にお点々とあるようで、感じのよい風景が続いた。どこが国境なのかわからないうちに入国管理官がきてはじめて気付くと言った具合。そんな間柄の心頼しあった隣国のようだ。
ウインには12時09分につき、ホテルはインフォメイションで簡単に教えてくれた。地下鉄の終点で、歩いて10分程度。さすがウインだなという感じの森の麓にある。6階建で部屋もきれい。270のベッドがあるというから大きいほうである。
1時に着いたから、3時のチエックインまでいままでの洗濯をランドリーに入れて洗濯した。6ユーロであった。
3時まで外の芝生で食事をして待つ。やはりここは先ほどの上りの坂だったので汗をかいたのでTシャツが湿り寒さを感じる。
3時から、町の中央にでた。先ずドナウ河を観ることにする。やはりウインでは音楽の町だからヨハンストラウスの「美しき青きドナウ」というのが頭に浮かんだから、そこまでの電車に乗る。大きな河だから水は泥水であるが、やはりさざ波というのが相応しいと思う。観光船もたくさん発着していて、たくさんの乗船者も見える。白い船体が、泥水の上を走り、岸は緑があふれているから。乗ってみたい気になる。岸にはルプレヒト教会というのがあり、大きく聳えている。
それをバックに映画撮影がおこなわれていた。そんな価値のある風景である。
そこから、王宮まで地下鉄で3つ目ぐらいだった。
セーンブル宮殿はマリーアントワネットも15歳でフランスの嫁に行くまでこの宮殿にいたらしく、女帝の末娘がアントワネットだったが、ヨーロッパを統一するための政略結婚がアントワネットの悲劇となるとは予想もしなかった女帝だったろう。そのころはヨ-ロッパではオーストリヤは大国であったようだ。ここでは古い近衛兵の服装をした、客引きや馬車などが観光客を案内している。
丁度行った時に、遠くから軍楽隊の音楽隊がきた。音がはいり、ビデオに収めるのになかなかいいタイミングだった。100人ぐらいで、キビキビした行進は気持ちの良いものであった。そこで日本人らしい女性に声をかけたら「ウイ」と返事していたから、ここではそんなドイツ語を使われてもちっともキザでない。
ホテルに帰ったら、僕の上のベッドが、南米のベネゼーラの青年で、写真家らしい。日本のキタノ・タケシ、クロサワ、オズ・ヤスジロウ、ミゾグチ・ケンジなどの作品、それにミヤザキというアニメの作品も観ているという。なかなかたくさんの日本映画をみて知っている。さすが写真家であり、ドキユメント映画も撮るといっていた。
同じ部屋にブラジルの若い女性が訪ねてきて、僕にも紹介してくれたから、「ガールフレンですか?」と後で訊いたら「フレンド・オブマイン」とい言って、ガールフレンドとは日本でいったら、恋人で単なる友達はフレンド・オブマインと表現するようだ。
僕は昨年ベネゼーラに行き、チャベス大統領が素晴らしい改革をやっていることに感激し、心から応援している。今やチャベスは南米のカストロに匹敵するほどの偉大な指導者だ。と意見をいったら、「自分も誇りに思っている」と言っているから、こんな若い人に日本の総理大臣が「誇りに思う」われた人がかってあっただろうかと比較したくなる。
米国に頼らず、自国が貧しいながらに国民のエネルギーを集めて改革していることが、今や南米の80%にまでなった自主的な国の再建に動きだした、チャベス大統領の指導力は南米中に広がっている。
彼と友達になれるように写真や、アドレスの交換もした。彼はフランス、ベルギーに映画の留学、4年もいたというから、きっとベネゼーラでも今後活躍するだろうから、交流が楽しみだ。
夜はデナーがホテルで提供できると言っていたから、楽しみに帰ったが、先ずビールが冷蔵庫に切れていること、それに夕食としては僕にとっての楽しみなのだが、スープ、お菓子のような中にチョコレートがはいったフライ、サラダ、が3種類で動物性のおかずが無いので、がっかりした。
ビールを買いにわざわざ下の町まで行くのも難儀だし、今夜はアルコール無ですますことになった。
パソコンもインターネットが繋がると言っていたが、僕のパソコンでは繋がらずじまいだった。中国の青年がうまくインターネットを開いていたので、操作してもらったが、やはり言語が違い説明が読めなくて成功せずじまいだった。

by akinishi1122 | 2009-10-04 11:57 | 旅行

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