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カマドキア世界遺産の町(4)

09年秋トルコとヨーロッパの旅(4)9月6日カパドキア世界遺産の町
6時に旅行会社から迎えが来た。カパドキアまでの飛行機が7時35分だからである。空港では日本人の団体28人というのが関西からついたところで、イスタンブールから乗り換えで、カパドキアに行くというから、カパドキアというのは日本でも観光地として人気があるのかもしれない。
昨日の黒人Olay が綺麗な場所だが寒いから長袖を持っていきなさい、と教えてくれたから、その準備をしてきた。
1時間半ほどで着いたら、出口で手配のホテルからで迎えてくれた。この空港はKayseriといってカパトキアの世界遺産の町までは車で1時間もあるところだ。同じタクシーに日本人の田中さんというクエートの三菱商事の社員さんが一緒になった。彼は今ラマダンで仕事にならないから休暇をとってここにきたらしい。ここからは3時間のところだから、もし旅行中に困ったことがあったら、いつでも電話ください、と名刺をいただいた。
車で走るとここは砂漠である、ちょうどチリの砂漠を走った時と同じ風景である。はるか彼方に高い雪をかぶった山々がある。おそらく100キロは離れているだろう。川は無くその山脈―の雪が溶けた水が地下水となって地下を流れているという。途中から石灰岩が見え、それがぼこぼこと盛り上がって山を作っている。その山が石灰岩だから柔らかく、人々が生活するために洞窟が作りやすい。だから冬は暖かく夏は涼しいから、居住に適しているようだ。ここの歴史はやはり3000年あるらしく、キリストやイスラムなどの勢力がいれかわるたびにその排除される難民が逃げてきたらしい。都市からは離れて避難するには最適の条件がここに人々を定着させたのであった。
ここは海抜2000mというから夜になると気温は10度も下がり、寒いらしいが、昼は日陰にはいらなければ暑い、しかし、日陰だと涼しいのだから湿度がないからである。
石灰岩の山は三角形のが多く高いのは30mもある。そこに窓をくりぬいて、アパート式である。柱がいらなくねばりがあるから自由にくりぬける。面白いのは、伝書鳩の住み家をたくさん作ってあることだ。人々の通信手段に永い間鳩が役だっていたらしい。
案内してくれた平野には葡萄があり、今干し葡萄の最中だったが、たくさんではない。道々に葡萄があるのを食べるとなかなかあまく、美味しい。またカボチャが収穫時期で、いっぱいころんでいる。ここのカボチャは食べるのでなく、種だけたべるらしく、実はおいしくないらしい。
この石灰岩の住居は現在は世界遺産になっているため、住むことはないらしい。また水道ができたので生活には不便だからである。
日本でいえば山口の秋吉台が一つの地域でそれが広大であるといったところだ。鍾乳洞のような地下の集落があり、地下道だけで2キロ高さが30mもあるのが地下に作ってあるが、ちやんと空気の取り入れ口も適度に配置してある。いつの時代などかはわからないが1000年以上であることはたしかである。
外敵から隠れるためと食物やワインの貯蔵などは常温を保てるのによいようだ。
ここでの産業は水が無いためにやはりこの世界遺産で観光を売りものとしてるらしい。日本人も年間10万人はあるという。
このガイドさんは主に英語で説明しているが、僕には日本語で話してくれる。町で会うひとごとに僕をみたら「コンニチワ、ゲンキデスカ」と話しかけてくるが、それ以上の話になるとそこまでの会話はできないが、それだけ日本人が多いということだろう。
ここで絨毯の作業所につれてくれ、またトルコ石の加工場もある。
僕に絨毯の土産にどうですかと勧めてくれたのが幅70㌢長さ1mぐらいのが6万円でいいというが、これを作るのに一月半はかかるというから気の毒なくらい安いと思う。その作業を観ているとすべて一つひとつ織るのだから、ここの織子さんの賃金がいかに安いかがわかる。
夜ホテルでインターネットが使えた。かじか会の登志美さんから「旅日記全部よませてもらいました、あとで感想かきますね、からだなんともなくてよかったですね」とあり俳句の淑子さんからは「8日が句会です、またたくさんの句を送ってくださいね、この前の句会では  単線の夏を集めねモスクワへ が私は一番好きでした」とあった。

by akinishi1122 | 2009-09-08 01:42 | 旅行

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