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22)孫たちとのヨーッロッパへ

(22)孫たちとのヨーロッパ(1)スイスの湖で泳ぐ
Burryの家族は気持ちよく迎えてくれ、ことに一番お世話になるヤスミンの笑顔が嬉しい。子供たちにもずっと前に佳子が送っていた日本の着物を着せてくれたりしているのは、僕への彼女の歓迎の表現である。エレナもイバナも2年前に来たときの顔を忘れずにいてくれた。そしてピアノを弾いて歓迎してくれた。エレナ11歳、エバナ7歳で明日くるきあらと同じ歳である。ことにエレナが可愛くなっているのに驚いている。ヤスミンは白人だがBurryは完全な中国人なのに子供たちの肌の色は完全にわれわれと同じ肌の色をしている。こんなに可愛い子供ができるものかと思うのは、やはり表情の豊かさからくるのかもしれない。二人ともバイヨリンを習っていて、それぞれ披露してくれた。
コンピユータ室の壁には家にBurryが来たときの皆の写真や家から送った、きあらとまなの写真もここの子供たちの写真と一緒に掲げてくれている。
朝食はベランダに出て、はるか向こうのなだらかな山に点々と住宅の景色をみながらである。なんと見晴らしのよい場所に建っていることか。今日は晴れていて全く雲のない青空である。こんな気持ちのよい朝食はやはり僕のためにベランダにセットしてくれたのだろう。
こどもたちはドイツ語しか喋れないが、彼女たちとのコミユニケーションにはなんの不自由もないのは、言語というよりもコミニュケーションは心だなと教えられる。
食事のあとにパソコンでインターネットを接続してくれたし、スカイプもセットしてくれたから家に電話してこの家族の様子を伝える。「オカアサン・ゲンキ」とまずburryからつないでくれた。昨夜からの家族の歓迎ぶり、きあらたちの出発の時間などを聞いたら、理香はまだ会社にいて7時ごろ帰宅するが夕食も食べる時間がないくらいで、すぐ関西空港に向かうということだ。ぎりぎりまでの仕事らしい。
日本時間の夜10時発(スイス時間午後3時)らしい。トルコ航空だから、イスタンブールに一旦おりてから明日の9時半ごろにチューリヒに着くとのことだ。この航空券は理香とBurryが相談しながらBurryが手配してくれたらしい。
明後日のわれわれのパリ往復チケットもBurryの手配らしい。だから「お金を支払うから」と言ったら、インターネットで理香の口座から支払われているからもう済んでいる。とのことだった。さすが航空会社の勤務だ。
僕のパソコンにインターネットを接続してもらった。鳥居さんから「毎日、日記を楽しく読ませてもらっています、この前お話したロシヤへの留学していた彼女に宮崎さんからの日記の1~10号まで送信しましたところ、毎日長い日記でなかなか勢力的で魅力があります、帰国されたら是非お会いできるようにお願いしてください」とあった。僕もぜひお会いしたいものだし、鳥居さんを通じた新しい友達ができそうで嬉しい。それから辻井喬さんの講演の会場が社会福祉指導センターが確保できて、立ち見席をいれると400人が入れること、そして大阪経営者9条の会も共催団体に入れてよいかとの問い合わせだった。我々としたら鳥居さんの御苦労に感謝し、喜んで共催者になりたいと返事しておいた。
中央区9条の会、大阪の税理士、弁護士、司法書士の9条の会などが同じ共催メンバーのようだ。会場を埋め尽くすようにしたいものだ。
帰国したら頑張って成功につとめねばならない。鳥居さんのご苦労に感謝し嬉しい。
岡山の土井先生からは「宮崎さんと一緒に旅をしているような気持ちです。宮崎さんは誰にでも好かれる人だからたくさんの友達ができていいですね、お腹をこわされたらしいですが、よくなってよかったですね、でもお体に今後もご注意して楽しい旅を続けてください」とあった。さすがにお医者さんだから体のことを心配してくださっている。
ブログに2日分の日記を登載しておいた。
午後から家族みんなで泳ぎにいくことになった。広々とした農場を過ぎて森にはいり、葡萄畑の中を歩く。ワイン用の葡萄で工場もすぐ近くにあるらしい。葡萄は豊作でフサフサとよく手入れがしてある。その畑から湖が見下ろせる。天気も良いしヨットもうかんでいるからまるで絵のようだ。30分ほどで湖にでた。この前来たとき一人で朝早く散歩していたら、狐に出あったが、森と畑が隣接しているからまだ、自然が生きている。
湖ではもうあちこちの岸でたくさんの水泳をしたり甲羅干しをしてる人たちがある。遊覧船も出ているから相当大きな湖のようだ。岸辺に脱衣場やトイレもあるが、料金はいらないのにトイレでも立派ななのに、この国の福祉の行きとどいた施策に頭がさがる。社会福祉というのはこんなことをいうのだなと思う。庶民がなんの不思議もなく行政が自然に庶民の営みに、ことに楽しみに手をさしのべているとはうれしいものだ。
みんなで水に入った。下のイバナはまだ泳げないがエレナはもう柵の外の外海まででれる。ことにヤスミンは姿が見えないくらい遠くまで泳いでいる。最初は冷たかったがいちど全体をつかってしまうともうなんともなくなじんでくる。だいぶ泳いだあと岸へ腰かけていたら、両方の足に痙攣がきた。Burryが一生懸命マッサージしてくれやっと回復したが、いちじはどうなることかと思うほど痛かった。やはり大分運動してないからかもしれない。
帰りも歩いて家についたが今度は家の近くを真っすぐ上がったら家だったので、行く時は散歩のために森を歩いたのだった。
夜はやはりベランダに出ての食事だ。ここで捕れる魚であろう、まるまるのままの煮付け、それにサーモンの同じく煮付けを作ってくれた。ご飯もあるが、これには、子供たちが日本から送っている海苔で食べている、この干海苔はもう10年ぐらいこの家族が、きらさないように佳子が送っているからこの家ではすっかりご飯には定着しているようだ。ご飯を海苔で巻いてたべている。日本の味噌汁もだしてくれたし、お椀も皿もすべて日本製の陶器で、お茶だけは中国だった。だからこの料理作りはもっぱらBurryの役目のようだ。
お茶の時間には庭に椅子を移動して空を仰ぎながらだった。ここらでは長椅子に仰向けで寝ると星空が見えるだろう。今夜は観たい気になった。
庭の一番端に子供たちが遊び、寝れるテントが設置されている。二人の子供が寝るときもあるようなこともあったようだ。
こんな静かな地域にでも空きすが出没することがあるらしい。車できて妹さんの家では部屋に泊まった形跡まであるというから、外国から流入者にちがいないという。
この家は多分日本式でいえばw300坪ぐらいあり、建物も3階だてだし、建物だけでも200坪ぐらいあるから、相当な金額だろう。ヤスミンに聞いたらもちろん現金ではなかったらしいが、何年ぐらいかかって支払うのかと聞いたら、「多分一生だろう」とこたえてくれたが、相当な給料でも、その言ってることは大袈裟ではないかもしれない。

by akinishi1122 | 2009-08-07 19:57 | 旅行

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