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シベリヤ鉄道の旅終わる

(21)シベリヤ鉄道の旅(21)8月5日シベリヤの旅終わるチューリヒへ
12時にホテルに車が迎えに来ることになっているので、今日はもうスイスに移動のため準備にかかる。モスクワは3日いたがまだ観たいところが多くあるのだが、あまり無理して今後の旅に影響したらいけないから強行軍はやめることにした。
モスクワのホテルはパソコンを自室で使えたから、やはり高級なだけある。国際都市でパソコンを使うのが一般的になっているとみえる。大変ありがたかった。
空港までの車はホテルからではなく、お客の送り迎え専門業者があるようで、そこへ日本の旅行会社が配車して来しているというのがわかった。初めての旅行者にとってはホテルとの距離や列車、飛行機の事情を知りつくした専門家に頼んだのが安全であると思う。今回列車、飛行機の到着に合わせ降りたゲートに僕の名前をかかげて迎えにきてくれ、ひとつも遅刻するということもなかったし、出発にあたっても列車の座席まで荷物を運んでくれたので僕としては時間や列車番号も確認することもなかった。これほどまでに旅行の安全システムが整っているとは予想外であって、感謝するくらいだ。
今日のドライバーはホテルから走りだして10分もしないうちに路面電車をセンターラインを越えて対向電車の線路に入ったのを警察にみつかり、どうやら罰金の刑になったようだ。僕としたら、そんなことより、取り調べが長くなって飛行機に乗り遅れるのが心配でたまらない。だがこのドライバーも自分が悪いと分かっているから変な抵抗もなく5分ぐらいで解放されてやれやれだった。だが、もしこの運転手が僕に交通違反の罰金を払えなど言わないだろうかと降りるまで心配もつきまとった。
空港は大変遠く丁度1時間もかかるところにある。ここでは運転手は空港のスカンジナビヤ航空前で下してさっさと引き返してしまった。いままでのドライバーだと搭乗口まで荷物を持ってくれたのだったが、このドライバーは頭にカッカときている雰囲気だし僕にも彼の気持ちもわかる。だが僕が急かせたたわけでないから僕としても慰めのしようがなく、できるだけ話さないようにした。彼は英語ができなかったし僕としてもロシヤ語で慰めの言葉なんか出来ないから沈黙するのが一番と判断した。でも気の毒には思う。
スイスのBurryの家に行くからエレナとイバナに土産をと思い空港で残金2500pぐらいあったからロシヤのコケシを二人にと思ったら、1箇が1700する、ロシヤの金を全部だして、2箇分の不足分をカードで支払いしようと思ったら、それはダメで一つの商品にだけのカードはいいが補充のカード使用は駄目らしい。なるほど国債通貨だから計算がややこしいからであろう。だからもう一つはカードでかった。
15時45分モスクワ発コペンハーゲン行きKLNオランダ航空である。荷物受付け時間が2時間前だから45分前につくことができた。だけどももしタクシーだと相当な金額だろうから、送迎の料金は日本で支払済みだったから、金額は忘れたがロシヤの場合は送迎を頼んだことが正解だった。
コペンハーゲン行きには50代の日本人らしい人男性が一人いたが、この人はあまり人と話したがらないようで、開札の同じ列に並んでいたから「日本の方ですか?」「何処までですか?」と聞いても「はい」と「コペです」とだけ返事したあとはよそをむいている。
コペンハーゲンのことを「コペです」というぐらいだから相当旅慣れしているか人かもしれない。話すのが嫌いかだろうから、僕もそれ以後顔を見ないようにしている。
飛行機の飲み物や食事はKLMは有料である。おそらく近い距離だからかもしれない。食べる人もすくない。日本のスチュアーデスのイメージがあるから、このスチュアーデスの50代でしかも髪の手入れもして無く化粧もしてない。なんか枯れ葉みたいな脂化のないのをみていると、こんな会社もあるのだなと思ってしまう。
僕はハンバーグを注文したが、現金をモスクワで処分してしまったからどうしようかと思ったら飛行機の中でもカードが支払できるらしい。
コペンハーゲンまでは2時間半でついた。ここでモスクワ時間から2時間と時計を戻す。
コペンハーゲンとはデンマークのようだ。ここで1時間半ほどの乗り換えまちだが、やはりここには日本人が大分増えてきた、次にチューリッヒに行く人が30人ぐらいの日本人団体でいま日本からついて乗継らしい。やはりこの20日間ぐらい日本人を見ることがすくなかったから日本人の顔をみるとほっとするものだ。
チューリッヒに着くのにBurryが果たして迎えにきてくれdてるだろうかが気になっていた。昨日もスカイプで電話したが通じなかったし、この到着びんんいついては日本にいるとき理香が知せれくれてはいたが、僕の直接彼と話すことがなかったから、やはりすこしは心配もあった。だがいつも心配りのある彼だから信頼が80%はしていた。だけども彼の仕事もあるだろうから、とこちらは万いつの時はホテルでも泊まればいい、とは思っていた。
ところがチューリッヒに着いたとたん出口まで行く前に空港内で彼の姿が見えた。やはり彼は心からの親切だし行きとどいている。空港職員だから荷物の受け取り場所までもはいってくれている。だからスイスは彼がいてくれるので安心だ。
荷物だが、鍵をかけているファスナーが鍵ごとちぎられて開きっぱなしになりビニールテープで巻かれている。これでロシヤでの被害は2度目である。幸い本だけ入れていてなにも取られるものがなかったからよかったが、空港職員でも悪いことをするのがロシヤだなとロシヤの最後に印象を悪くしてしまった。やはり大事な物は体につけておかねばならないのが外国旅行の基本だなとわかる。
「お父さん食事、日本、中国どちらにする?」と聞いてくれたので「中国」にしてもらった。ここは香港出身らしく、この前もここにつれてもらった。ビールを2人で飲んだが、彼は運転するのに大丈夫か?と聞いたら1本だったらいいらしい。でも2本だったら両手を手錠だ、と笑いとばしている。やはり中華にご飯はおいしい。もやしと肉の炒めものだった。Burryの家から空港まで50キロあるらしいが、毎日車らしい。電車は不便か?と聞いたら空港勤務だから朝4時に出勤の時があるから車でなければでれないかららしい。
スイスは高速だから信号もなかったし、料金所もない無料である。そして道路も整備されているし緑豊で走っている車もみんな洗車がされて奇麗だ。こんなところにBurryは生活できて幸せだろう。昨年11月お父さんがなくなり今はお母さん一人で香港らしいが、こちらに呼んでも来たがらないらしい。またヤスミンのお父さんは2年前から倒れ今は入院してるが66歳なのに殆ど、ものが認識できないくらいらしい。佳子と一緒に10年前に合った時は別荘で招待してくれて事業もうまく行っていた時期だったが、今は相当の入院費がかかっているとのことだ。
家に着いたらヤスミンも笑顔いっぱいで迎えて歓迎してくれた。エレナが11歳というが非常に可愛くなっているしイバナも覚えてなついてくれた。いつも写真を送ってくれているから久しぶりといった感じがしない。子供たちはドイツ語だから僕は喋れないが、ふたりとも家から送った服を着てくれて見せてくれた。またエレナはピアノを弾いてくれ、その上手さはもう大人並のような弾っぷりになっている。
僕が腕時計も自分のができなかったぐらいの慌てて出発だったから佳子の時計をしていたら、自分が佳子にプレゼントした時計だったのを覚えていた。だからこの旅の慌ただしかったことを説明せねばならなかった。 

by akinishi1122 | 2009-08-06 18:19 | 旅行

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