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グアテマラ・家族と小旅行

ワンワールド世界旅行(38)
2月26日(火)グアテマラへ
 やはりパソコンの接続が今朝はできなかつた。昨日、教えてくれた人はNECの小田原毅さんという人だった。朝食の時もう一度聞いたが、各国や場所によって電波の事情が違うから、それを探し当てるのに時間がかかるらしい。NECの専門家だから昨日はできたのであって、やはり僕では次の国では無理であろう。彼はテキサスに通信設備の売り込みに来ているらしい。
グアテマラは暑い国だから、Tシヤツにしたがここではまだ冷える。空港までホテルのボーイさんが送ってくれた。感謝の気持ちでチップを1ドルわたした。
空港での荷物チエックで歯磨きチューブが取られてしまった。僕の使いつけはソルトサンスターだからもう残念でならない。やはりこれからは機内持ち込みには液体やクリーム状の物は持ち込まないようにせねばならない。
 グアテマラについての外務省の注意事項の説明を読んでいると、相当危険な地域のようだ。盗難、ひったくり、強盗などが頻発しているようだから、ホテルも最初の所に続けていた方が安全かもしれない。夜の9時過ぎに着くからホテルも600メートルと近くらしいが、タクシーにすることに決めた。

グアテマラ着陸は予定の夜9時だった。どうしてホテルを探そうかと思っていたら、「エヤーポート・イン」という看板を持った人がいたからホテルの予約券を見せると「自分のホテルだ」といって早速タクシーを呼び乗せてくれた。空港から近くでもその予定だったから間違いなかろう、と思ってはいるものの、全部荷物をトランクに入れられてしまうと、果たして大丈夫だろうか?と気になるが、任さねばならない。
 すぐに着いたところは、とてもホテルとは見えないし、大きな塀にドアーがあり、その塀の高さが3mぐらいで、塀の上には有刺鉄線の丸い輪が防犯のために張られている。やはり噂の通り治安がよくないのだな、と緊張する。呼び鈴を押したら少女みたいな女性がでてきた。この案内人がテキパキとこの女性に話しし、18㌦支払ってください。という、確か日本から支払い済みのはずだが?というとタクシー代なのかな、と思い「まだ両替してないからこの国のお金はない」と言ったら弗でよいという。20㌦紙幣しかなかったのでそれを渡すと、暫くしたら、このホテルのオーナーという人が2㌦の釣りをくれた。
 これで安心したし、部屋に案内してくれたら、ツインのベッドで僕一人だというから気持ちが楽になった。(明日からホテルを探すよりもグアテマラはもうここにしよう)という気持ちになった。電源は日本と同じだからパソコン類に充電したが、日本への電話は圏外とは出ていないのに「送信できませんでした」と出ている。
 11時をまわっていたからシャワーに入り直ぐ寝た。

ワンワールド世界旅行(39)
2月27日(水)ボーイの家族と一緒に湖の観光
 朝食時に昨夜のボーイも居たから、ここに泊まっていたのだろう。空港に歩いて行き。80㌦をここの通貨に替えた。7・64×80=611・2ケツアールである。金嵩がいっぺんに大きくなった。
彼に「どこか市内の観光コースはないだろうか?」と聞いたら、「自分は今日非番だから自分でよければ家族と一緒に案内しよう」という。そして朝の仕事を片付けるために、オーナーがもう一つ経営しているホテルまで連れていき、そこでの仕事であるアメリカの老婦人をバスターミナルまで連れていくのに僕も同行した。
 この老婦人は80歳ははるかに越えているが、荷物を3ツ持っている。そしてレイクに行くといっているが、タクシーで行くといくらかかるか、と聞いて、高いからバスで一人で行くと計算してるようで、その毅然たる態度に感心した。こんなよぼよぼの人がよくも旅の心得をわきまえているとはさすが一人旅をするだけの人物だな、と感嘆した。財布からお金を出すにしても手間取っているのに値段の交渉をきっちりしているのだから、たいしたものだ。
 バスターミナルでこの婦人と別れ、ボーイの家まで行くのに、大きな屋台マーケットに連れてくれた。どうやら奥さんに靴を買うらしい。靴ばかりの店で10軒ぐらい値踏みしている。店の人もアッサリしたもので、あまりしつこく売りこむ気配はない。最後に僕に「どちらが良いか?」と聞くから、僕の好みを指定したらそれに決めていた。このボーイは45歳といっている。ところが後で解かったのだが、この靴は奥さんにではなくもう一人の彼女にプレゼントするものだったのだ。
 彼の家までバスを乗り換えながらたどりついた。高い塀があり、その奥はアパートになっているようで、彼も扉の外で子供たちと会話しながら、奥さんが着替えしてくるのを待っている。奥の方に彼の住まいのアパートらしいのが見えるが、入っていくと僕も入るからだろう扉の外で待っている。子供が5人と奥さんが出てきた。そのうちのこども子供4人、奥さんそれに彼との7人で今日の観光である。
こんな家族との付き合いができるとは思ってもいなかったので大変に有りがたい経験になると嬉しくなった。奥さんは少々彼より年配ではないかと見えるが、感じの良い人である。ここは原住民が多く、99%がそうで、その民族が大きく2種類の種族らしい。東洋人に近い顔立である。スペインの植民地だったから、スペイン語で、僕には殆どわからないが、彼が少し英語ができるが、僕の英語よりもまだ劣るのだが、あとは身振りでなんとかなる。子供は言語などとんじゃくなく直ぐなついてくれ、下の子供はずっと僕と手をつないであるいてくれる。5歳というからうちのきあらチャンと同じで男の子だ。
 バスに乗り2回乗り換えるなかで、バス停から物売りが乗り込んで暖かい焼きたてのお菓子を売る、マンゴを氷水にして甲子園のかき氷みたいにして売る。それに南米の竹製の楽器にギターのようなので演奏をしてくれる。こんなのがバスのなかで賑やかである。この全てに7人分の支払いを僕がした。
 雑貨店があるが、皆鉄格子で商品はこの格子内から渡す仕組みになっている。やはり治安のせいだろう。また宝石店や不順服肌着店などに私設のガードマンが銃を構えて入り口に立っている。賊がいるということである。であれば犯人を射殺しても良いことになるはずだが、警察権力が市民にも与えられているということは、まだ安定していないということになろう。2年前にアメリカのYMF支配である新自由主義路線をとる政権から変わったのだが、その変化はボチボチというところだなと見える。
バスの車輌が今から40年も前のアメリカの中古車を買って使用しているから、エンジン部分が前に出ているバスがいまだに多い。そしてバスはドアーを開きっ放しで走り、車掌が乗車の時お金を徴収する。殆どのバスは錆びたままであるから、雨の時は雨漏りがするだろう。だが経済に困難はあっても、アメリカのIMFのくびきから自由をもとめて独自の判断で経済を再検する道に進んでいるから、その実体を見るために来たのも、僕のこの国の訪問の目的でもあった。
 危険な地域であるのに、彼に案内してもらうし、お金はドルが7倍の値打ちになっているから、今日のガイド代と保安代と思えばそんなに高いのではないかと思っている。
 この店にくるまでにバスを降りてから、前にお客を乗せて自転車をこぐリンタクに皆で乗る。やがて湖についた。そこで目につくのが黒鯛みたいな形で大量に店先でフライにしている。これはこの湖で獲れるのであろう。彼が指定する魚を7人分フライにしてくれた。それに御飯、葱、野菜、漬物、ポテトフライ、パスタのせんべいみたいなのがいくらでもお代わりができる。子供たちには同じ魚でも小さいのだったが、僕たち大人は30cmの丸揚げである。彼も奥さんもビールは飲まないからみんなジュースにしていた。彼らは魚は手で身をつかんで食べている。だから手を拭くために濡れたちり紙がついている。
魚の味はやはり淡水魚だから鯉といった味である。生物でもここの湖の獲り立てだから新鮮で問題はなかろうと食べることにし、美味しくいただいた。この支払いに僕が100ケツアール出したらなんとまだ釣りをくれるではないか。だから全部で700円もしないということだ。食べているとラテン音楽を奏でる5人組の演奏をしてくれる。これはOKをいわなければ我々は支払わなくて良いようで、他の夫婦の客が支払っていた。鼻髭のピンと張った、カーボーイハットのあの南米ラテンアメリカの服装での演奏だ。
 その後、観光船に我々だけの7人で乗る、湖を周遊するのだが、岸の水は表面に緑の粉末のようなのが浮いている。だから綺麗という感じではないが沖にでると綺麗になる。岸辺にはリゾート地として立派な住宅がぽつぽつと林の中に建っている。ボートもつながれているから、西欧なみのリゾート地である。都心から2時間ほどのバスだったが、果たしてこの湖はどちらに位置しているのかわからない。遠くには相当高いのだろう富士山みたいなのもある。この地が標高1550mあるというから、3000mぐらいの山であろう。ここは盆地のようだ。
 岸で何かサークルになって聖書のようなのを皆が持ち湖を背に牧師みたいな黒人が説教していて、それが終わると賛美歌であろう。歌、次に牧師と青年が手を繋いでズボンのまま靴下も脱がずどんどん水に入っていくではないか。そして二人とも腰までつかってしまう。やがて牧師が青年の肩をつかんであお向けにザブンと青年を水に沈めた。思わず僕は声を出してしまった。だが青年はなんの抵抗もなく、なすがままになっている。やがて全身服のままのずぶ濡れで岸に歩いてきた。これはおそらく宗教の儀式なのだろう。白い幕が彼の周りを囲い、全ての衣服を着替えていた。そして牧師もその後に同じ方法で着替えていた。
 こんなローカル色の行事を見れることは日本人誰もなかったのではないかと嬉しくなった。だが僕らと一緒の彼の家族もなんの驚きを示さないところをみると、ここの習俗であろうか。
 彼の奥さんは全く英語は喋らないが、絶えず微笑んで僕の行動を見守っていてくれた。これで今日一日は家族との一日となり、僕の旅の大きな思い出と残るはずだ。
 彼の家族とは途中で別れたが、奥さんも子供たちもみんなバスから手を振って名残をおしんでくれていた。奥さんの名はバリというからスイスのバリと同じ名前だから忘れないだろう。別れたあとで気付いたのだが、さっき一緒に買った靴を彼が持っているから、「奥さんにわたさなかったのか」と聞いたら「これは別のワイフにだ」という。ずっとこの靴は自分の子供に持たせていながら、別の彼女にプレゼントするのを持たせるなんてひどいことをするものだ、とあきれてしまった。
 また5人いた子供は一番下の息子だけが自分の子で後は違う旦那の子供たちだと聞かされた。なのに、みんな仲良くしていたから、僕も救われた気になった。奥さんとも大変仲良くしていし。

by akinishi1122 | 2009-06-26 09:58 | 旅行

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