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母と妹に手をかけた苦しみ 金城 重明

軍の存在、住民を追い込む

「強制集団死」は1945年3月に起こった。慶留島と座間味島では26日に、渡嘉敷島では28日に発生した。

当時私は16歳、渡嘉敷島に米軍が上陸した27日夜日本軍(皇軍)から島の北端の北山(ニシヤマ)陣地に

移動しろと命令があった。真っ暗闇の恐怖と不安の中、わたしたちは移動した。

このとき、軍と最期をとげるという脅迫感があった。住民には軍とともに命運をともにするという「軍官民共生

共死」と天皇のために命を捨てることは尊いことだと皇民化思想があった。

決して自発的に死のうという意識はなかった。

集団死という恐ろしい現実は家長が妻子を殺した。

集落の区長であった親戚はへし折った木で妻子をめった打ちして殺した。じぶんたちもあんなふうに手をかけ

ないといけないのだと、以心伝心で感じとって、私は兄と二人で、母と弟妹を手にかけた。

戦争とはこのようなものであった。

(沖縄タイムス)

by akinishi1122 | 2009-06-05 11:09 | 九条の会

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